今日はイスパレ報告会

先週末は後輩たちのミーティングに、かつての仲間たちと顔を出した。 他愛もない想い出話で盛り上がって、3年前を思い出した。   当時は本当につらいことばかりだと思っていた。 でも毎日楽しかった。そのことに気づいたのは、ずいぶん後になってからのことだったけれども。     この1年は20代の終わりを意識するようになり、将来のことを考える時間が多かった。 その結果、自分が本当に意味を感じられる仕事を、思いを共有できる仲間たちとやっていきたいと、なんとなく方向性が見えてきた気がする。 イスラエル人、パレスチナ人たちと成田空港で涙が止まらなかったあの時の経験が、今の僕の原点になっているみたいだ。    ...

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パレスチナ人留学生を探してます

昨年、後輩に引き継いだ団体「日本・イスラエル・パレスチナ学生会議」は、今年もイスラエル人・パレスチナ人を日本に招致する予定だったのですが、情勢の悪化に伴いウエストバンク・ガザともに学生の招致を断念しました。   そこで今、パレスチナ人留学生を探しています。 夏の会議開催のためには、留学生を確保する以外に方法がありません。     私のブログ読者の多くが中東になんらかの関係を持っている方々だと思われますので、日本にいるパレスチナ人留学生のみならず、他国にいるパレスチナ人留学生に関しても何か情報がありましたら連絡ください。   本当によろしくお願いします。        ...

レバノン攻撃に際して

ブルガリア時間では二日連続、日本時間では今日二回目のブログ更新。   ガザだけでなく、レバノンまでが攻撃されている。 宿で見れるCNNから、ハイファとかナザレとか見覚えのある風景が、たびたび映る。   並行して行われているガザ侵攻の様子を見て、あの場所にいる友人たちの安否が気になる。 いつまで、こんなことを続けるつもりなんだろう。   友人が日記上で紹介していた、攻撃反対の署名のサイト。 http://epetition.net/julywar/index.php サイトの下まで行って、名前とメールアドレスを書き込むだけです。 その後はそのアドレスにメールが届くので、confirm「確認」 し...

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無関心と憎しみの連鎖の中、想像力は失われていく

深夜にマケドニアという非常にマニアックな国に着いた。手元のロンリープラネットによると、マザーテレサの生まれた国らしい。これから、コソボ行きのバスを探します。   実は小学生の時、非常にマセていた私は夏休みの自由研究で旧ユーゴの内戦について調べ発表した。 そういうわけで、ここもそれなりに思い入れのある場所だ。               さて、イスラエル・パレスチナを離れて二日がたった。 ガザの侵攻で21名が死んだことを、先ほどホテルで流れていたBBCを見て知った。       現地にいるとき、ラマンラ近くで毎週行われているデモを二回見学した。 デモはパレスチナ人が中心となって行われていたのだが...

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一年の月日が流れて

ブカレストのネットカフェより更新。先ほどルーマニアに戻ってきた。 この後はコソボに行き、現地にすむ知人に会うつもり。   今回のイスラエル・パレスチナ訪問ではトルカレムでファタハ系のある軍事部門の幹部と4時間ぐらいインタビューしたり、ガリラヤ湖で泳いだり、ラマラ近くのある村でのデモに参加したりと、本当に充実していた。今も書きたいことが多すぎてまとまらない。             でも何よりうれしかったのは、去年の会議の参加者たちと、一年ぶりの再会を果たしたことだった。     パレスチナ人参加者だったアクラムは、ラマンラの街に香水屋を二件、化粧品屋を一件オープンさせていた。得意のフランス語を...

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エルサレムより

中東来て一週間がたちました。   到着翌日はイスラエル軍が投げる催涙弾を初体験した。 あれはきつい。目からも鼻からも水があふれ出る。   昨日はジャーナリストのYさんの運転する車で、シリア・レバノン国境付近のドルーズ族の村に連れて行って頂いた。シリア国境を見て少し複雑な気分になったものの、もっぱらの話題はドルーズお姉様方についてだった。レバノン・シリアには、さぞかし美女が多いのだろうと、想像を掻き立てられた。   今日はJICAの方にジェリコの開発に関する会議につれてっていただいた。休憩中は、海抜マイナス300メートルの暑さの中、3月イスラエルが侵攻した刑務所跡を見た。ひどかった。   そんな...

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Declare myself

私はイスラエル・パレスチナに初めて入ったのは、ちょうど二年前。 本や人の受け売りではなく、自分の目で見て頭で考えて、自分の言葉で語ることが、あの経験を経てようやく少しだけできるようになった。       中東問題を一生かけて研究したいと今は思っていないけど、それでも私にとってあそこが大切な場所であることには変わりない。 アザーンの音色や無駄に多い車のクラクション、雲一つない空と砂煙、エルサレム旧市街の混沌、テルアビブの夕日、思い出すと胸が熱くなる。 (ついでにイスラエルの軍服美女と正統派ユダヤ人の揉み上げも)       英語も使えず役に立たないことが明白だった二年前の私を、現地に送り出してく...

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前日のブログについて

今日は休日なのだが、研究所が空いていたので来てしまった。 三日連続のブログ更新。   前回、東京に平和に暮らす若者がイスラエル・パレスチナに関わる上での「立ち位置」に関する悩みを書いたら、今ISMに参加している友人S氏からすぐにコメントがきた。私もたったいまコメントを返したところ。(前回のブログのコメント欄を参照のこと)   前回のブログで多少誤解を与えてしまった部分があるかなと思い、補足する。      まず、東京で平和に生きる若者が、イスラエル・パレスチナの紛争に関わる資格がないというつもりは全くない。   もちろん、私たちにもできることがあると思っているわけで、だからこそ私は二年間も単位...

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イスラエル・パレスチナに行ってきます

本当は昨日のブログの続きを書きたいのだけれども、航空券をとったのでイスラエル・パレスチナ行きの話を。   旅程は6月21日~7月5日の二週間。本当は長くいたいのだが、多忙な同僚のせいで早く予約できなかったため安い便は一杯。というわけで、こんな時になってしまった。   映画を撮る件も、同僚が多忙のため(といっても夜は飲みにでかけているんだが)うまく渉外の手はずを整えられず難しくなりそうだ。ルーマニアと日本では仕事に対する感覚がどうも違うらしい・・・         今日は研究所にパレスチナ人が来ていた。 毎週金曜日のISMのビリン村の活動についての映像を見た。友人S氏がちょうど今参加しているやつ...

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