祭りが終わって②

プレステ2を買った。ドラクエ8とロマンシングサガを買った。今日は一日中やった。中古を探し回った結果、合計2万以下となった。   夏が終わり一ヶ月弱にわたった共同生活が終わった直後、再び長岡に行って当団体の侵してしまった失敗について謝罪しに行った。それから帰ってきたら、もう大学が始まった。忙しい夏休みだった。そういう意味では、今日が久々の休みだった。   しかしあれほど望んでいた「一人」という時間も、いざ手に入れると退屈なものだと悟った。ゲームは2時間で飽きた。いつもの仲間達に会いたいと思った。     何人かの後輩たちから来年度も当団体に残って欲しいと言われ、今考えている。 来年は三年生、将来...

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再会

7月のことだった。1年ぶりにある女性にあった。   出会ったのは6年前、私が友人の高校の文化祭に行った時、彼女と一緒に文化祭に来てた子に声をかけられた。所謂、逆ナンというやつだ。それからも一年に数回飯を食うようになり、前回会ったのは昨年の5月。彼女が短大を卒業後アメリカの大学に編入する直前のことだ。   日本に一時帰国しているとのことで、メールがきた。そして会った。一段と美しくなってて、1年という年月を感じた。勿論昔からの友人だから特別な感情は持っていないわけだけど、純粋にキレイだなと思った。     喫茶店で話している時、彼女が電話で席を外した。その間私は暇だったので小熊英二著のある本を読み...

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NHKに出演

第三回日本・イスラエル・パレスチナ合同学生会議の「日本社会への発信」という1つの目標に関して、不十分な結果に終わったということは前のブログに書いたとおりだ。しかし1つだけ大きな発信があった。それはNHK「おはよう日本」にてドキュメンタリーが放映されたということだ。   9月2日の朝、3分ほどのドキュメンタリーは時間を変え三度にわたって放映された。日本人学生に対して全く焦点が当たっていないことなど不満が残る内容ではあったものの、八時に「おはよう日本」という有名番組に取り上げてもらったことは非常に大きな経験となった。   来年からはメディア戦略をしっかりと立てていきたい。    ...

祭りが終わって

夏が終わった。同時に日本にイスラエル人とパレスチナ人を招いて会議を行った一ヶ月という時間も終わった。   日本人のメンバーに対しては責任感の不足に怒ってばかりの毎日だったし、イスラエル人・パレスチナ人とは時にケンカをして時にケンカの仲裁をするという、本当に忙しい毎日だった。体重も5キロ痩せた。   けれども、今振り返ってみると十分すぎた毎日だった。それはパレスチナ人のヌラとイスラエル人のアビゲイルが互いの別れを惜しんで泣いているとき、35歳のパレスチナ人イスマイリが目を真っ赤にして泣いていたとき感じたことだ。イスラエル人とパレスチナ人が互いの別れを惜しんで泣いたということ、お互いの共同生活を思...

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忙しき日々への愚痴

最近、とりわけ忙しい。木曜日からの日記を列挙する。   ・木曜日 当団体合同学生会議のパレスチナ人参加者で千葉大の大学院に留学しているN嬢に会う。その後、風邪で声が出なかったが、某社との連絡を終わらせる。そこまで忙しい日ではなかった。   ・金曜日 風邪がひどくて動けず。昼過ぎになんとか動けるようになり、夕方にイスラエル人側の航空券を手配してくれたイスラエル人に会う。その後、某ジャーナリストの講演会。パレスチナにも取材に行かれてたこともあり、繋がりと作っておこうとする意図もあり。講演自体もなかなか良かった。その後朝まで書類つくり、ホームページの確認等を行う。   ・土曜日 風邪が治らず夕方まで...

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告知!!!!!!!!!!!!!!!!

8月7日より「第三回日本・イスラエル・パレスチナ合同学生会議」が開催される。普段は接触することのほとんどできないイスラエル人とパレスチナ人を日本に招き、対話の機会を創出するというこの合同学生会議もとうとう三回目となった。   この度の学生会議は新潟県長岡市、長野県長野市、東京都武蔵野市の三都市で三週間開催され、共同生活やその中で行われるディスカッションなどを通じて日本人・イスラエル人・パレスチナ人の三者が信頼を醸成すると同時に、交流会・シンポジウムなどを通じて日本社会に一個人としてのイスラエル人・パレスチナ人を伝える。   また今回は「対話の継続」というテーマを掲げ、ただイスラエル人・パレスチ...

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長岡にて③

とりあえず、長岡滞在記のラストを。(もうあれから三週間経ったんで・・・)   二日目の夜に新潟大のMさん、当団体新メンバーのGさん、そして三島町でご協力いただいているSさんの息子さんのT君と共に宿舎にて、飯を作り、食い、飲む。Mさんがパレスチナ家庭料理を作ってくれて、それがまた美味しかった。地酒を飲みながら明け方まで語る。   日本人・イスラエル人・パレスチナ人の合計約30人が泊まるには少し狭すぎるが、それでもなんとかなるだろう。こんな風にして、イスラエル人・パレスチナ人と毎晩のように語ることになるのだろう。その中でどれだけの数え切れない思い出ができるのだろう。     少しずつ形が見えてきた...

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気付くと朝(長岡②)

 現在早朝の六時。大学は終わったというのに、とにかく忙しい。一ヶ月後にせまった「日本・イスラエル・パレスチナ合同学生会議」の準備は毎朝にまで及ぶ。    今最も問題なのは資金だ。これ以上の企業協賛はもうこの時期になると厳しい。企業内カンパ等に資金調達の手段を変更していかねばならない。また特にこの時期、更に広報活動に一層力を入れねばならない。新聞、テレビ、ラジオなどの媒体に露出し、シンポジウム・交流会などで人を集め、日本社会に対し僕らが伝えたいことを発信していかなければ、僕らのやっていることの意味は半減する。    ここまでの一年と三ヶ月の大学生活は、ほぼ全てこの活動に費やされた。日本にイスラエ...

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長岡にて①

金曜日の夜池袋を経ち、バスで長岡に向かった。いよいよ一ヶ月先に迫った会議のための準備である。 長岡北という高速バスの停留所に着いたのは朝の4時。眠い目をこすりながら、メンバー4人はブツブツと文句を言う。 この高速バスの中でY嬢の通路挟んで隣に座っていた男が、大変なやつだった。夜行バスの中は消灯の時間を迎え皆が寝静まった後に、いきなり叫びだしポテトチップスをバリバリ食い始めたり、携帯のボタン音を鳴らし続けてたり、よく見ると指には水色のマニキュアが塗ってあった。 僕は気にせず一時間半爆睡してたけど、Y嬢は一睡もできなかったらしい。 バイパス沿いの停留所から階段をくだると、そこは一面の田んぼであった...

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