もうとっくに日本にいるわけですが、カンボジアの日記でも書きます。 タイで一日遊んだ次の日の早朝、迎えの車が宿泊先のゲストハウスまで迎えにくる。 車の中で爆睡していると、いつのまにか国境にいた。バンコクから国境、国境からシェムリアップまでのバスの手配は全てタイの旅行代理店に頼んでいたので、流れにのればよかっただけ。楽だった。 国境近くのレストランで昼過ぎまで待たされ、その後国境のガイドらしき人と共にカンボジアに入る。 カンボジアに入ると、シェムリアップ行きのバスの乗り場で待つことに。ガイドからバス乗り場の隣の両替所で両替を勧められる。勧められるまま、両替をしそうになる。 が、...
...カンボジアの経済構造
帰国した。旅の様子は改めてブログにアップしたいと考えている。 タイは純粋に楽しかった。ここで大学生やったら楽しいだろうなと思った。留学を検討中である。 一方カンボジアでは悩んだ。 まずシェリムアップ周辺に限定して経済構造の歪さについて書きたい。 ここでは現地の人間から聞き取りを進めた結果を書く。聞き取り調査なので、事実と異なる部分があるかもしれない。 まずシェリムアップ周辺が「観光に依存した地域」であることを確認する。 つまりアンコールワットがもたらす経済への恩恵は、その入場料(一日20ドル)収入にとどまらないのだ。ホテル、タクシー、土産店、ガイドなど、様々なところに...
...カンボジアの少女売春について
昨日、カンボジアに入った。シェムリアップに夜到着。アンコールワットで有名な街だ。朝からアンコールワットを見学した後、夜はバーストリートと呼ばれる通りに向かった。 途中、7、8歳と見られるストリートチルドレンたちがよってくる。パレスチナでもストリートチルドレンを見たが、ここの方が明らかに数が多い。しかも「お金」よりも「食事」を、せがまれた。初めてのことだった。 ストリートチルドレンから物乞いを受けた場所の、その10歩先に「バーストリート」があった。明らかにカンボジアの風景ではない。わずか50メートル程度の道幅に、西欧風のレストランが立ち並ぶ。物乞いの少女たちの入り込むスペースはない。 さて、私が...
...カオサン通りより
今タイにいる。 先日、かなり嫌なことがあったので、少し開放された気でいる。 木曜日の夕方、成田を経った。そこでなぜかICUの同級生三人組に会う。聞けば、彼女らもバンコクに行くとのこと。世界はあまりに狭い。軽く挨拶した。 飛行機は中東に行くときの三分の一以下の時間であったため、快適に過ごす。 私とK氏がコーヒーやスプライトを楽しんでいる間に、N氏はワインやジンを楽しんでいた。 バンコクに着いたのは深夜0時前(現地時間)。空港の人間の英語がわからない。すごい訛りだ。 入国手続きに戸惑い、深夜2時、旅行者の集まる街カオサン通りに到着する。屋台に並んだ焼き鳥や焼きそばを楽しむ。安い。ICU...
...夏の思い出
先週は長岡で報告会だった。ブルジョワジーな団体の皆様と異なり貧乏な私は、Y嬢とN嬢と共に鈍行列車で6時間かけて東京に戻る。 ずっとN嬢と会話してた気がする。 「夏会議でイスラエル人・パレスチナ人と、ほとんど個人的な関係は築けなかった。」 その一言が重く響いた。 夏会議の時、イスラエル人とパレスチナ人は事務的な話をまともにできるのが、私とN嬢だけだったと認識していた。予定などを決めるミーティングでは、私とN嬢さえいればよいと言われた。現にそうなってしまうこともあった。 だから時にイスラエル人・パレスチナ人の憎まれ役となり、激しく言い合ったりもした。揉め事があれば必ず呼ばれ、イスラ...
...ミーティング
都電荒川線の終着駅、早稲田に到着しミーティング場所の新学生会館に向かう。風邪もほぼ治った。 ミーティングにラスト1時間ほど出席。当初あまり口出しをする気もなかった。私は報告会と文化祭というタスクさえやれば、引退という楽園が待っている。 しかし、今日もキレてしまった。 会員制をとるにあたり総務局をつくろうとのことで、一年生の間で総務担当者を決めたらしい。 その結果、一年生で財務を担当してる某氏が総務をやるということに。 財務担当といっても、最近サポートに入ってくれているY氏にまかせっきりだ。それに対して反省やら感謝も示さない時点で「ありえない」と思っていたのだが、「財務をやめる」とい...
...失格
報告会と引継ぎ以外に、団体にコミットするのをやめた。そう決めたとき、気持ちが軽くなった。 「イスパレが好き」「組織化していい団体にしたい」 そう言われる度の頑張ろうと思った。 でもそれは口だけで、多くのメンバーが自分からは動かない。そのことに危機感も感じない。 そしてその度に一喜一憂することにも疲れた。 私は孤独に耐えられる程強くはなかった。1人で突っ走っていくことに悲しさを覚えてしまった。支えてくれる仲間が欲しかった。団体に対する本当に意味での「思い入れ」の差が悲しかった(考えてみれば当然なんだけれど)。 所謂「リーダー」なら、それでも笑顔でメンバーを引っ張ってくべき...
...1つの恋の終わりに
一ヶ月ほど前の話を今更ながら。 大学に入った頃にようやく人生が上手くいきはじめて、こんなに生きることが楽しいと思えることはなかった。でも、そんな中でようやく気付いた自分の中の欠落感。 冬頃から付き合ってた女性がいた。 でも夏頃から上手くいかなくなってきてた。 私は日々団体の仕事に追われながらも、自分の中の「欠落したもの」を取り戻すことで頭がいっぱいだった。でも彼女は何も分かってなかった。いや、少なくとも私はそう思ってた。 そしていつのまにか、連絡を避けるようになってた。 そんなときメールがきた。 「直接言えよって話なんだけど、電話だと言いたいこと何も言えなくなるから。 ゆうすけにすごいパワーが...
...夏会議の総括(ニュースレター用原稿)
会議が終わって一ヶ月の時間が流れた今、あの時間が私にとって何だったのか考えてみる。12月に会議の準備を始めた時日本人のメンバーは3人、資金のあてもほとんどなく、幾度となく中止案も出た。それから8ヶ月の月日の中で、徐々にメンバーを増やし資金も調達し、なんとか開催にこぎつけることができた。その苦労ゆえ、イスラエル人・パレスチナ人が無事来日した時の感慨は一入であった。 メンバー不足のため本格的なプログラム作りに取り組めたのが6月に入ってからということもあり、会議期間中はその準備不足を幾度となく露呈してしまった。代表という観点から見れば、私の仕事には失敗ばかりが目につく。サポートしてくださった...
...NHKラジオに出演!!
今日家に帰宅したのは、午前1時半ころであった。タクシーにて渋谷から帰宅した。NHKのラジオの収録をしていたからである。 詳細はのちのち書こうと思っているが、金曜日の夜10時からのラジオで放送される予定だ。問題発言がなかったか気になるが、楽しみだというのが本音である。...