二年前、パレスチナ人たちと接点があった頃、イスラームの正しさに「科学」を利用しようとする姿勢にうんざりすることがよくあった。 よく話に出てきたのは、月面着陸を果たしたアームストロングの話だ。彼がムスリムになったのは「月から見た風景」がクルアーンに書かれていたものと同じだったからだと言う。 今回のバングラデシュ滞在では、同じ内容をバングラデシュ人の口から聞き、再びうんざりさせられた。彼らは、まだ「近代」社会を生きていて、ある意味ではダーウィニズムを批判するキリスト教原理主義者たちと、そうは変わらないのではないかとよく考える。 他によく聞く話として、「ヒジャブ」の話が挙げられる。 女性...
...米系投資銀行の崩壊に関して、考えたこと
ちょっと前まで就活生であり米系投資銀行で働くことに一時期憧れていた僕にとって、昨今の米系投資銀行の崩壊はショックだった。 日本で最も優秀だとされている学生たちや、世界の名だたる大学でMBAを取得した若者たちのみが働くことを許されるそれらの組織が、邦銀や日系証券に飲み込まれていくのは、とても不思議だ。 「邦銀とか日系証券とかありえないよね~」と話していた一部のインベストバンカーたちは、今の状況をどんな風に感じているのかなと思う。(まぁ彼らは頭がいいので、再就職先には困らないだろうけれども) こういった状況を見ていて、どんなに優秀な人々であっても社会構造=システムに抗うことはできないのでは...
...閉塞感について 1
「世界が全て終わってしまえばよいのに」 20歳になる頃までは、よく思っていた。 だから秋葉原の事件が起こったときも、あまり不思議には感じなかった。 (同世代の人間たちが、皆一様に「気持ちが分かるよね」と語っていたことには、正直驚いたが) ちなみに加藤氏は僕の一歳年上である。 高校時代、僕がその夢想を「実行」に移そうとは全く思うことがなかったのは、「まだ人生はやりなおせる」と思っていたからだと思う。 現に僕は大学に進学することで、人生をやり直すことができた。 けれども一方で、「やり直そう」と決意したのが5年遅かったら、社会がそれを許さなかったはずだ。 25歳、人生が本当に別れていく...
...labor, work, mission
laborとは隷属的な労働のことであり、workとは単なる労働(肯定的意味も否定的意味もない)、missionとは使命感に基づく労働、と捉えることができる。missionとはcalling(=天職)とも言い換えられ、内なる動機付け(have to ではなく must)に由来する労働のことだ。 そして、僕はmissionを探している。 そんなことを、卒業前に某M教授と話していた。 社会学的に言えば、「農家の子は農家」の時代から「いい大学からいい会社へ」の時代を経て、価値観が多様化し社会が島宇宙化する中で迷いが生じたのかもしれない。 何がしたいのか、何をすべきなのか、この二年間はそうい...
...社会貢献とは何か
就活中、よく会社説明会で聞いていた話が、「仕事を通じて社会に貢献する」というせりふだった。 僕はこれが大嫌いだった。 たとえばコンサルについて考えてみる。 あるコンサル会社が、あるメーカーA社の経営を改善したとする。 するとライバルメーカーのB社は、別のコンサル会社を使って、経営を改善しようとする。 B社が売り上げを伸ばしたのを見て、A社は再びコンサルを雇い、事業戦略の策定を依頼する。 つまり、この場合コンサルは「クライアントへの貢献を通じて社会に貢献する」といった高尚な役割を担ってなどいない。メーカー間の競争を激化させただけの話である。(もっとも、競争激化によってより健全な経済が...
...成長、発展という強迫
「近代性とはとりつかれたような前進ーつねにもっと欲しいから、ではなく、けっして充分に得ることができないから。もっと大きな志や冒険心を育てるから、ではなく、その冒険が苦くその大志が実現を阻まれているから。前進は続かなければならない。なぜなら、たどり就いたどんな場所も一時の停留所にすぎないから」(バウマン) バウマンのこの言葉は、個人の生き方として考えたときも、ある社会の時の流れとして考えたときも、示唆に富んでいると思う。 「農家の子は農家」ではなく、「キャリアを考える」時代へ。 BRICS、VISTA、発展を目指す途上国。目指せ日本、アメリカ、ヨーロッパ。 「前進」という近代性が持つ脅迫...
...支配的なパラダイム
僕は小さい頃から、いじめられてばかりだった。 キノコ頭に寝癖がついていて、運動神経も極度に鈍くて、机の中にはいつも腐った給食の残りのパンが入っているような、僕はそんな小学生だった。 友達とどこかに行くにも自転車をこぐのが下手すぎて、一人遅れているような子どもだった。 そんなのだから、小学校三年生ぐらいのときクラスで無視されるようになり、僕と会話をしたら「ごめんなさい」と謝らなければいけないというルールが作られ、僕は学校に行けなくなった。 幸いにも担任の先生が解決してくれたため僕は再び学校に行けるようになったが、それから計算とサッカーの二つだけは負けないように努力した。 その二つができれば、...
...主体と構造
卒業論文にも書いたが、主体と構造のせめぎ合いの中で世界は創られていると僕は考えている。 ある主体の行為の原因の一部は構造にあり、構造の原因の一部は主体の行為にあり、そしてそのせめぎ合いと偶発性(バングラデシュの娼婦たちの場合は、結婚、妊娠によるself-esteemの回復)が私たちの周りの社会を創っているのではないか。 ギデンズの言葉を借りれば、「私たち一人一人の人間はその行為を通じて社会的世界を創るのと同時に、その社会によっても私たち自身が作り直されていく」ということだ。 仮にそのようにして世界が成り立っているとすれば、行為のどこまでを主体に帰することができるのだろうか。 ...
...マスコミ
「庶民と感覚がかけ離れている」 と、マスコミは官僚を叩く。 でもちょっと待って欲しい。 彼らのほとんどが一流大学を出て国家一種試験を通った人間たちだ。 それなりの待遇が必要でしょう。 官僚になる人間は皆基本的に優秀なので、就活をしてもそれなりの会社に内定をもらっている。 外資金融フロントなら二年目で年収1000万は越えるし、コンサル・大手商社だって30歳前には1000万超える。 でも官僚になってしまったら、40歳手前ぐらいか。(それでも「天下り」がある頃は、割りにあったと思うが) いつだったか、「東洋経済」で我がICUが、「卒業生の平均給与全大学トップ」であったのを見て首をかしげたが、...
...現状に対する悲観的、かつ肯定的な認識
僕の仲の良い人間たちの間で、会えば必ずといっていい程出る言葉が、「意味と強度」だ。 このブログを読んでいる人の半分以上は知っていると思うし、それぐらい宮台真司が悩める僕らの世代に与えた影響は大きかったように思う。 まぁ僕の周りが異常なだけかもしれないが。 ******* これから書くことは、一部の人を除いては全く意味不明のことだと思う。 ただ、この一年ぐらい自分で考えていたことをまとめたいと思い、他者の言語ではなく、自分の言語で書いてみる。 ******* 僕はこの二年間、過去の楽しかった思い出にすがって生きてきた。 それは特にイスラエル人・パレスチナ人と過ごした夏の思い出であ...
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