人はヒーローをすぐに作りたがるものなんだな、とネットで地震の情報を入れているとつくづく感じた。特定のニュースについて、というわけでないのだけれども。 でも実際には、そんなに美談なんて転がっていないものだと僕は思う。 大学時代の前半、イスラエル・パレスチナと関わっていた時に見えたのは、現実の中を生きる人の姿だった。(つまり日本人の女の子のケツを追い掛け回す彼らの姿) 当時はその事実に違和感を感じたのだけれども、その違和感は紛争の中で生まれた美談で固められた僕のイメージと、彼らの現実との差だということに気付いた。 人は美談の中を生きているのではなく、「現実」を生きているのだ。 バングラデシュでも同...
...力がほしい
地震後、「なにかできることはないか」という思いが書かれたTwitterのタイムラインを見て、イスラエル・パレスチナ、ルーマニア、バングラデシュでの生活を思い出していた。あの頃の僕は、自分にできることを探して、でも見つからず、結局日本での就職を選んだ。 途上国での生活はそれなりに楽しかったし、たくさんの美しい思い出を僕にくれた。それでも、たぶんあのままの生活を続けていたら、どこかで「閉塞感」に襲われてしまうような気がしていた。だからNGOや国際機関への就職、大学院への進学、などの進路を選ばなかった。 ****** バングラデシュ人は優秀だった。彼らにできなくて、日本人にできることが、ほとんど見つ...
...what i’ve lost
何を失ったのかは分からない。それなりに刺激的で充実した毎日を送っている。 ただ、先週末に大学の後輩たちと飲み、語り、眠り、そして昼から東小金井のオープンカフェでインド料理を食べているときにふと思った。 ****** ある大学の後輩は、無縁社会の問題を「物語を紡げなくなった人たちをどうするかという話だ」と熱く語っていた。 ある大学の後輩で、アフリカのNGOでの一年間のインターンから帰国した子は、「何が正しいのか、全く分からなくなってしまった」と悩んでいた。先進国が行う開発なるものが正しいのか、と。 若いな、と思った。そして羨ましかった。 ****** イスラエル・パレスチナにいた頃、ルーマニアに...
...不安と不満
起業して半年が過ぎた。 正直に言えば、「これで良かったのかな」と思う時はある。 まだ事業収入が少ないので、生活は苦しい。生活が苦しいだけなら中小企業のサラリーマンと同じかもしれないが、今後どうなるかが分からない不安で押しつぶされそうになる日もある。 今までを振り返ってみると、いつだって、どこにいたって、何をしていたって、僕は何かに不安で、そして不満だった。 商社にいた頃は、今後の人生があまりにつまらないものになりそうで、不安だった。やりたいことができず不満だった。バングラにいた頃も、ルーマニアにいた頃も、何かに怯えていたし、一方現状に満足できたこともなかった。 「ここではないどこ...
...「正しそうに見えること」
先ほどまで、NHKに頼まれた過去の活動の写真を整理していた。とうとう放映は明後日金曜にせまっている。 それにしてもイスラエル・パレスチナ、ルーマニア、バングラデシュ・・・地に足のつかない生活を送ってきたなぁ写真を見ながら思った。本当に20代前半は、世界をフラフラと生きていた。 けれども結局日本に戻ってきたのは、「助けたい誰か」が見つからなかったからなのかもしれない。どんな場所にいても、生まれてきた感情は「同情」ではなく「共感」だった。何かを「一緒にやれたら」とは思ったが、何かを「やってあげたい」とは思わなかった。 ****** 援助は自立を潰すとか、そういう底の浅い議論をしたいのではない。彼ら...
...南国への帰省
年末年始は南国に帰省していた。 もちろん日本語が最も得意な言語だし、海外に出始めたのも20歳を過ぎた頃だった。それに現地の美点ばかりが見えているわけではない。キツイことも山のようにあった。 それでも、僕にとってはあちらの方が心地よい。その理由をよく考えるのだが、一つに「人と社会」の関係性があるように思う。 ****** 例えば、洋服屋の店員が椅子に座って携帯電話をいじって客に見向きもしない、なんて光景はイスラエル・パレスチナでも、ルーマニアでも、バングラデシュでも、タイでも、当たり前に見られる。 確かに服屋の店員が常に立って笑顔を振りまいている必要はない。経済効果もたぶんない。座って携帯電話を...
...迷った時間
こんなに迷った時間はなかったと思う。 大学を卒業し、バングラデシュからも帰国し、一度は日本の大企業で揉まれる決心をした。 その後は、後悔ばかりが頭を支配していた。 あの時、「就職」しかも、「日本の大企業」を選んだのは、自分がどのように生きればいいか、見えなくなっていたからだと思う。 一度、「ふつう」の道を体験してみたかった。 全てを白紙にした上で、考えてみたかった。 現に、あのまま大学院に進んだり、または海外で適当に仕事を見つけて働き続けたり、といった道を選んでいたら、自分の大切にしたい物事に気付くことはできなかったと思う。「正しい決断だった」と今は言える。 そして、自分が何に価値を感...
...しなやかに生きる
非常に苦しい時期が続いたが、学んだこともたくさんあった。 今振り返ってみてそう思う。 人には「できること」と「できないこと」があり、「できないこと」に対して必要以上に自己嫌悪に陥ることは避けた方がよい。 そうではなくて、「弱さを認める」ということ、そしてそこから自分に「何ができるか」、「何ができないか」を見極めることの方が、人生を有意義に過ごす上で大切な気がする。 そして「できること」があったとしても、それは社会構造とか個人を取り巻く時々の環境によって、往々にして「できなかったこと」に変化しうる。 それでも、しなやかに前を向く― 人生が思い通りいく人なんて、余程才能がある人か、運が良い人かのど...
...「善きこと」とは何か
最近は色々な人との出会い&再会があり、久々にわくわくして過ごしていた。 やっと今の自分を肯定することができたのかな。 ****** 4年ぐらい前、社会起業とかBOPビジネスに関心があり、動向を日々キャッチアップしていたり、実際に自分も関わったりしていた。 けれども、バングラデシュで生活するにつれ、そこに大きな問題があることに気づきはじめていた。 最近では某衣料品メーカーまでもが「BOP」やらを謳っているらしいので、僕自身が感じていたそれらのビジネスに対する違和感を、今更ながら記載してみたいと思う。 (主にツイッターでつぶやいたことのまとめ) ****** 二年前からユニ○ロがバングラデシュに工...
...この一年
この一年、色々なことがありすぎた。 そしてそのほとんどは、悲しい出来事だった。 先輩の自殺、親友の死、恋人との別れ、会社組織に適合できない自分への気付きと失った自信。 自分を支えていたものが、崩壊していく。そして僕はその前で、ただ呆然とそれを眺めることしかできなかった。 後悔ばかりが頭に浮かび、前に進むための手段は見えない。 それでも、前を向かないと、人生はきっとつまらないまま終わってしまうんだろうな。 「あたしが思うに、大人は「まぁいいや」のカタマリだ。 おなかが出てきてもまぁいいや。鼻毛が出ててもまぁいいや。 捕まらなければまぁいいや。ココロなんかなくてもまぁいいや。 どこかで戦争や災害が...
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