「私はダニエル・ブレイク」を観た。昨年のカンヌ映画祭でパルムドールを受賞した作品。 監督であるケン・ローチは、社会の流れに翻弄される弱者の側に立った作品を描くが、「私はダニエル・ブレイク」にも「どんな人間も名前を持つ一人の人間だ」という強いメッセージを感じた。 本作は、医者からは就労を禁止されている心臓病持ちの老人が、(イギリス版の)ハローワークで、「就労可能」と認定されてしまうことから物語は始まる。 「就労可能」と認定されたからには、「求職活動」を行わなければ失業給付金がもらえない。だから、老人は街の工場を歩き回って履歴書を配り歩く。 けれども、医者からは就労を止められているから、実際は働く...
...残業とは経営陣の責任である
経団連が、残業規制に反対していた一連の出来事を見て、とても驚いた。 「残業なしで勝負できるビジネスモデルを創れません」と自ら言っているのと同じだからだ。 そもそもイケてるビジネスモデルがあれば、残業なんて必要ない。 「残業しなければ成り立たない」ビジネスモデルしか考えつかなかった時点で、経営陣としては能力不足だと言える。 例えば、営業系会社で働くある友人は、「夜にクライアントから問い合わせがあったらその場で対応しないと、クライアントは逃げてしまう。だから残業するんだ。」と言っていた。 しかし、競合他社がひしめく業界で勝負していて、競合と同じような価値しかクライアントに提供できないのであれば、残...
...不登校・中退と大学受験
今年も合格発表の時期が来た。 色々な生徒の合格報告が届く。会社が大きくなって僕と現場との距離はだいぶ離れてしまったけれども、それでも「キズキがなければ、引きこもりのままだった」という声を聞くたびに、明日も頑張ろうと思える。 ****** けれども、「〇〇大学に受かった」ということ自体は、社会全体にとってはプラスの意味もマイナスの意味もないと僕は思っている。 例えば、「慶應大学に受かった」というのは、塾の実績としては良いことかもしれない。 けれども社会全体で見れば、「A君が慶應大学に合格した分、B君は慶應大学に不合格になった」ということになる。 大学の合格者の枠が限られている以上、大学受験とは「...
...競合の登場と社会的意義
年明けから、弊社の社員向けに週報を書くことにした。 塾の校舎が代々木と秋葉原、行政から委託を受けている事業所が東新宿、中退予防のお手伝いをさせて頂いている専門学校・大学が全国にある中で、どうしても僕自身が現場と離れてしまっているからだ。 週報は毎週の経営課題の話が中心にしてるのだけれども、その中で僕個人の日々の雑感も書くことにしたので、ブログにもアップしておこうと思う。 ****** 安田です。みなさん、年末年始はいかがお過ごしでしたか? 33歳独身の年末年始は、友人たちと沖縄に行ったり大阪で天皇杯決勝を見に行ったりしていました。 そんな僕のプライベートの今年の目標は結婚です。 さて、今日の話...
...経営者として考える残業、2017年の誓い
おっさんたちが「残業」を好む理由の一つは、「自分もそうやって仕事をしてきた」からだと思う。 「自分は長時間働くことで、仕事の能力をつけてきた」と思っているからこそ、他者にもそれを押し付けてしまう。 僕自身も起業してから2年ぐらいは、1日15時間働き、休みもなかった。だから「全社員、長時間必死で働くべきだ」と心のどこかで思っていた。 僕に限らず起業家の多くは「寝ずに働いたことで、今の自分がある」と思うだろうし、外資金融コンサルの多くも「バリュー出なければ長時間働くべし」と思うだろう。 でも今は、そういう自分の価値観を他者に押し付ける「幼さ」から脱皮できて、とても良かったと思う。 自分と同じ成長曲...
...基本的に社会は断絶している
僕は知らない社会のことを、知ったかぶって書くのは好きではないけれども、今回の大統領選でよく言われていたヒラリー支持層とトランプ支持層の「社会の断絶」について少し思うことがあった。 多くの日本人がアメリカ社会の断絶について驚いていたが、別にこれはアメリカに限った話ではないと僕は思っている。日本、そしてどの国でも、社会は基本的に断絶している。 日本で言えば、士農工商の時代では身分によって見えてる世界は確実に違っただろうし、明治以降になっても地域によって方言もかなり異なったからお互いの世界は違っただろう。 戦後一時的に日本は「一億総中流」という時代を迎えるけれども、その時代だって山谷に日...
...なぜ体罰がいけないのか
戸塚ヨットスクールが未だに支持されてしまう一つの理由は、「体罰のおかげで変われた」という人が、世の中に一定数いるからだ。 人間は往々にして、「自分の経験」を他者にも押し付けようとする。 「自分が体罰によって更生できたのだから、他の人も体罰があれば更生できるのだろう」と。 自分の経験が他者に全て適用できるのであれば「統計学」がこれほど流行ることはないはずなのに、なぜか「教育」分野になると「自分の経験」を一般化して語りたがる人が急増してしまう。 (日本の教育に欠けているものは、「自分の経験」ではなく「統計的エビデンス」に基づく教育実践だと、僕はいつも思う) ****** それに、もし体罰にたとえ多...
...異なる価値観の中で生きるために。
20代前半の多くの時間をイスラム教国で過ごした僕は、保守的なムスリムから「イスラム教を信じないお前はダメだ」と言われることがよくあった。残念ながら、日本でイスラム教とは無縁に育った僕にとって、響かない言葉だった。(ほとんどのムスリムは僕の価値観を尊重してくれたが) 同様に、某フランスの事件でも、「フランス人が表現の自由をどれだけ大事しているのか」という話をよく聞いた。けれども残念ながら、それも全く異なる価値観を持つ人たちには届かないのだと思う。フランスの文化で育った人以外に、フランスの価値観は響きづらい。 (僕自身も、保守的なムスリムからの言葉に腹が立ったのと同様に、フランス人からの3.11の...
...起業から3周年/10代の頃の記憶について
8月に、起業してから3周年をむかえた。いつの間にか30代を迎えていて、先週には31歳になった。 苦しかった10代と比較すると、20代は「起業」をはじめとして意味のあった時代だったように思う。 何度もこのブログに書いているように、20歳でICU入学後イスラエル・パレスチナの平和構築に関わり、その後働きに行ったルーマニアで大きく挫折したけれども、バングラデシュで立ち直り、日本に戻って就職したけれどもすぐに退職、なんとか立ち直って起業・・・ 挫折を繰り返しながらもなんとか這い上がり、起業をして3年が経ち、現在はアルバイトやインターンの方々を含めると50名以上のスタッフが働く法人となった。 このブログ...
...新入社員の頃
4月になった。 大学に入学してから10年。 フルタイムの仕事を始めた人を「社会人」と呼ぶならば、「社会人」になってからは5年が経った。 この時期になるといつも思い出す。5年前に新卒で大企業のサラリーマンになった僕は、その会社員生活が半年もできなかった。 そして、自分が情けなくてどうしようもなく、鬱にまでなった。今でも想い出すと苦しい気持ちになる、大きな挫折だった。 ******* 会社員生活はしんどいことの連続だった。 油田権益の投資の部署に配属された僕は、基本的には投資管理というバックオフィスに近い業務だった。 お客さんと会う時間がないのであれば、通勤はラッシュを避けたかったが、大企業だから...
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