「近代性とはとりつかれたような前進ーつねにもっと欲しいから、ではなく、けっして充分に得ることができないから。もっと大きな志や冒険心を育てるから、ではなく、その冒険が苦くその大志が実現を阻まれているから。前進は続かなければならない。なぜなら、たどり就いたどんな場所も一時の停留所にすぎないから。」 社会学はキツイ学問だなぁと思う。 そして近代はもっときつい。 白石一文の「僕のなかの壊れていない部分」はバウマン的だなぁと思った。 卒論のデッドラインは明後日。かなり切羽詰まってます。...
年をとった
よく「俺たちも年をとったよね」と若者が格好つけて言うことがあるが、そういうことではなくて、本当に時の流れを感傷的に感じるようになった。自分に対する欲が減ってきていて、それがどこか嬉しく、つらい。毎晩夜の街を彷徨っていた高校時代も、「何か」を為すために必死だった大学時代も越えて、今僕はフツーのサラリーマンになろうとしている。 就職活動の時に、10年ぶりに髪を黒くした。髪の長さだけはちょっぴり抵抗してみたけれども、チャコールグレーのスーツに無地の赤いネクタイを締めて大手町やら赤坂やらを歩き回っていたら、自分の見た目なんてどうでもよくなった。某社の内定者懇親会で、ガン黒金髪だった頃の話をした...
...自由であるために。
何にも捉われたくなかった。 家を出て寮に入ることを決意した小学生の時も、私立の中学を辞めることを決断した時も、底辺校から難関大学を目指した時も、世界の色々な場所で活動していた時も、常に頭の中にあったことは「自由」であることだった。 場所にも組織にも言語にも、何にも縛られたくなかった。 今日は某商社の内定者懇親会に行ってきた。 尊敬すべき同僚、先輩たち、この会社なら楽しいだろうなと思えた。 けれども、この違和感はなんだろう。 「一流大学から一流企業へ」、そんなレールに乗ってしまうことが怖い。 今までレールなんて無視していたはずなのに、今更乗っかるのか? その時々の問題意識...
...Sustanableな社会システムについて
WBSを見ていたら、イギリスのsustanableな漁業についての特集をやっていた。 MSC(http://www.wwf.or.jp/activity/marine/sus-use/msc/index.htm)というラベルをつけた、水産加工品が人気らしい。 sustanableな社会を創るためなら、消費者は少しぐらい高くてもMSC商品を買うとのこと。 現に、「このラベルをつけたことで商品の売り上げが延びた」と、あるスーパーの店員が話していた。 イギリスはすごい社会だなぁと感心してしまった。 本物の市民社会だ。 その後コメンテーターが、「魚の最大の消費国である日本が、この認証ラ...
...情熱大陸を見て
社長、めちゃくちゃカッコ良かった。 スタッフとしては誇りに思えるし、二歳しか離れていないことを考えると悔しく思ったりする。 番組の中で、「自分で見て考えたことしか信じない」っていう社長の言葉があった。 僕も全く同じポリシーを持っているから、その点でもすごく共感している。 それに、見たこともない世界のことを語るのは、そこに住む人に対して失礼だと思う。 けれども矛盾を感じるのは、MHに共感している多くの人がバングラデシュを訪れたことはないということ。 それどころか、これまで途上国の開発にどのような問題があったのか、本さえ読んでいる人は少ないんじゃないか。 全ては社長の生き方に共感し、そ...
...次回の情熱大陸はMHの特集!
なんと今週の情熱大陸は、うちの社長の特集です。 http://www.mbs.jp/jounetsu/ とうとう、ここまで来ました。 僕がMHに来た時はまだ直営店もなく、スタッフも社長含めて五人だけだった。 いまや、都内に直営店が三つもだ。 僕がMHを知ったのは、ルーマニアにいる頃、まだ創設二ヶ月目だった。 資本主義の枠組みの中で、地域と地域、人と人が共に価値を生かしあうようなシステムを模索していた頃だったので、衝撃なビジネスモデルだった。だから、その頃「この会社はくる!」と一人で騒いでいた。 (MHの発展に貢献できたかは別として、「会社を見る目はあった」と自負している。) そして...
...力あるもの
学生時代、色々とNGOと関わってきたけれども、その多くが「力なきものが力なきものを助けている」ように見えた。 市民社会が未熟な日本社会では、NGOは資金集めに活動の大半を割かなければならない。欧米のように、自発的に市民が資金を提供することはない。 二年半前、九州大学で講演をした時のことだった。 「日本の学生のほとんどは、社会の問題なんて興味ないですよ。だから、社会問題に関わる人々はどのように一般の人々を巻き込んでいくのか考えるのが大切だ」と私が話した時、 「じゃあ、学生たちは何に興味があるんだ?」と驚いた顔をして、学者たちは僕に聞いてきた。 普段大学の教壇に立ち偉そうなことを語りなが...
...「できる人」
僕はいつも、自分より頭の回転が早い人を見ると悔しくて、自分より語学ができる人を見ても悔しかった。自分より「優秀」な人たちに会うと、悔しくてしょうがなかった。今となって考えてみると、早慶ではなくICUに行ったのも、東大とのヒエラルキーから自由な気がしたからかもしれない。 MHで働いた後に思ったのは、「できる」の基準なんて曖昧だってことだった。 仮に、「できる」と定義を頭の回転の速さ、発想の豊かさと定義するならば、自分がMHの人たちに劣っていると感じたことはなかった。 けれども、仕事に対する真摯な姿勢とか、人を受け容れる温かさとか、そういったものを持つ人たちに僕は惹かれた。 柔らかさの中...
...社会性とビジネスについて part2
新年早々前回のブログの続きだが、社会企業が出てきた背景には、「社会性」という付加価値が日本で受け容れられるようになったことが大きいと思う。たとえば、それはロハスブームを見れば分かるとおりである。 これまで資本主義の世界経済システムと環境汚染、貧困といった問題は、相反する事柄だと考えられてきた。たとえば、企業が途上国のコストの安い労働力を搾取するのをやめたり、環境対策を重視したりすることは、収益の減少を意味するからだ。ところが、このロハスブームのように、「社会的」であることが、商品に付加価値を与え、商品価値を高めるというパラドクスが生じてきた。これは、日本でも一部の消費者が「成熟化」して...
...社会性とビジネスについて part1
この一年間、社会性とビジネスについてよく考えた。 今、この分野で、最も注目を浴びている某企業の成長と拡大を、間近で見ることができたからだと思う。 日本において、社会起業(社会企業)が語られるときの問題が、大きく分けて二つあると僕は考えている。 一つは「社会企業」と「社会起業」の混同だ。日本語の発音が同じであるせいで、この二つは混同されて使われているが、別物であることは漢字を見れば分かるとおりである。 そしてこれらには「ビジネスを通じて社会問題を解決しようとする企業」という定義がよく使われるわけだが、実際にはその対象のほとんどがNPO法人であるということが、もう一つの問題だ。事業それ...
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