来週から、またバングラデシュに行くことになると思う。もう五回目だ。 三回目、四回目の訪問についてブログでは何も書いていなかったのを、ふと思い出した。つらかったことも、楽しかったことも、たくさんあった。どれも僕にとっては忘れたくない大切な思い出なので、記憶を掘り起こして書いてみることにする。 今年の春は3月1日から4月8日ぐらいまで、僕は日本を離れていた。例年この時期は花粉症を避けるために、海外にいるようにしている。 香港経由のキャセイパシフィックでバングラデシュに着くと、予め連絡をしていた現地の旅行代理店に向かった。この春はどうしても、バングラデシュとカンボジアを再訪したかった...
...「強さ」について
僕がイスラエル・パレスチナの人たちから、バングラデシュの人たちから学んだこと、それは「強く、そして優しくある」ということだった。彼らは過酷な状況にありながらも、人に優しくあり続ける「強さ」を持っていた。 社会から差別されながらも兵役を拒否し続けていたイスラエルの友人や、友人や家族が殺されながらもイスラエルと対話を続けるパレスチナの友人、そして社会に見捨てられながらも希望を捨てないバングラデシュの娼婦街に生きる人たち、僕が彼らから教えられたことは、とてつもなく大きかった。 小さい頃から僕は、「自分が周りからどう見えるか」ということばかり気にしてきた。誰にも負けたくなかった。本当に大...
...ビーマン航空との格闘
今バンコクにいる。 本当は今頃まだダッカの予定だった。 8月8日13時半(現地時間)のバンコク行きのビーマン航空にのる予定だったからだ。 ことの始まりは三日前。リコンファームのためにビーマンオフィスに電話すると、「フライトはキャンセルになった」とのこと。 あわてて、タクシーで一時間かけてビーマンオフィスに向かう。 ビーマンオフィスにて文句を言うと、「代わりにタイ航空を使え。明日朝にタイ航空のオフィスに迎え。」 との指示を受ける。翌朝一時間かけてシェラトンホテル内のタイ航空オフィスへ。しかし、8月は空席がないと言われる。 その後一時間かけて、再びビーマンオフィスへ。 8月8日の夜にはバン...
...オニック
ここ一年以上作り続けているドキュメンタリーの主人公の一人は、オニックというダッカの娼館のスタッフだ。 彼はバングラデシュで高校を卒業後、マレーシア、インドネシア、シンガポール、タイと、海外で出稼ぎを行い、そこで貯めたお金でバングラデシュに自分の店を持った。けれども、一年と経たないうちに、その店は強盗に破壊されてしまった。 「職がない」 バングラデシュにいると、あちらこちらで聞かれる話だが、彼も状況は同じだった。 自分の店を失った彼は娼館のスタッフになった。 初めて会ったのは、去年の秋、僕が二回目にバングラデシュを訪れたときだ。 僕がその年の春に滞在した娼館を訪ねると、彼は新しいスタッフ...
...再び娼婦街へ
バングラデシュ出会った人たちはこんなにも人懐っこくて優しくて、その日はすごく空が晴れていて、それなのにどうしてこの場所はこんなに悲しいのだろうと思った。 "Is it possible for you to make it happened?" 娼婦の一人がつぶやいた言葉と、そのさめた瞳が、頭から焼きついて離れなかった。 東京に戻ってからも、同じ空の下に「違う世界」があるということが、受け入れ難かった。 http://yasudayusuke.spaces.live.com/blog/cns!14ECB3DBFA167A80!1061.entry?_c=BlogPar...
...娼婦の子どもたち、一筋のひかり。
バングラデシュの娼婦街を訪ねたとき、現地のNGO(SSS)に案内を頼んだ。http://www.sssbangladesh.org/ 案内してくれたツヒヌルさんは、奨学金をもらいイギリスのエジンバラ大学で博士課程に通いながら、フィールドワークの一環としてSSSで働いている。 卒業後はそのままSSSのスタッフになるつもりだという。 私たちは彼から娼婦たちについての情報を伺うことができた。 「あそこで働く娼婦には三つのタイプがある。一つは、お金がなくて働きにきた女性たち。もう一つはあそこで生まれ12歳になるとそのまま娼婦になる女性たち。そして最後は、親戚や知人に騙され売られてくる女性たちだ。」...
...ある娼婦の物語り
去年カンボジアで少女売春の現場を見てしまってから、もっとこの問題を知りたいと思っていた。 http://yasudayusuke.spaces.live.com/blog/cns!14ECB3DBFA167A80!704.entry 今年春に初めてバングラデシュに降り立って、ダッカの売春宿に数日滞在してから、その思いは強くなっていた。 http://yasudayusuke.spaces.live.com/blog/cns!14ECB3DBFA167A80!1026.entry そして今回、僕と後輩はダッカから車で三時間の、バングラデシュ二番目の規模の売春宿街を訪れた。 現地につくと、ロー...
...Today is the greatest day I’ve ever known
バングラデシュの首都ダッカからバスで6時間のタンガイル村を訪れることになったのは、「タヒルさん」とダッカ大学付属の日本語学校で出会ったことが始まりだった。「バングラデシュの田舎に行きたい」と僕が言うと、三日後に彼の故郷を案内してくれることになったのだ。 昼過ぎにタンガイルに着くと、親戚を挙げての歓迎を受け、タヒルさんのお母さんとお姉さんは、食べきれないほどのご馳走を振舞ってくれた。 息子の帰省を泣いて喜び、彼の友人である僕たちの訪問を大歓迎してくれる、彼のご両親や親戚の方々を見て、少しだけ羨ましくなった。 ただその後に待ち受けていたのは、村中に散らばる彼の親戚たちへの挨拶回りであり、そ...
...「希望」について
半年前、バングラデシュのダッカ空港に着くと、僕はタクシーの運転手に「最も安い宿に連れて行ってくれ」と頼んだ。 しかし訪ねたどの宿も一泊10ドル以上したため、僕は滞在を拒否し続けた。 観光産業の発達していないバングラデシュでは、所謂「安宿」はほとんど存在しないみたいだった。 タクシー運転手はこのケチな東洋人に苛立ち、結局彼は僕を「売春宿」に連れて行った。一泊5ドルだった。 部屋に入るとすぐに、ホテルの従業員たちが大勢やってきた。 バングラデシュでは珍しい日本人に、集まった10人以上の従業員が片言の英語で質問攻めをする。 年齢、家族構成、恋人の有無、好きな食べ物、バングラ滞在の理由、あまりに無...
...止まった時間
昨日に引き続き、ブログ更新。昨日のブログはフォントが見づらかったので、先ほど修正した。さて、いまさらになってしまうのだけれども、バングラデシュ日記を書こうと思う。 ダッカ大学の外国語学校をうろうろしている時、「こんにちは。」と笑顔で話しかけてくれた女性がいた。この「ルマ」さんは、バングラ滞在の時に最もお世話になった方の1人だ。 彼女が日本語を習ったきっかけは、義姉が日本人だったからだ。彼女のお兄さんは日本で10年近く出稼ぎ労働者として働いていた。そして、日本で出会った「よしこ」という女性と結婚し、バングラデシュで三年間結婚生活を送った。 「よしこさん」は彼と結婚後バングラデシュに移り住み、約三...
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