「正しさ」はどこに?

何度かこのブログにも書いているけれども、20代前半は「正しさ」について迷い続けた時間だった。 ****** 大学1年生~2年生にかけて、僕は学生NGOの代表をしていた。 現地では対話の機会が少ないイスラエル人・パレスチナ人12名を日本に招致し、一ヶ月間合宿を開催した。 http://www.jipsc.org/ 活動は広がりを見せ、外務省のパンフレットで「イスラエル・パレスチナ間の信頼醸成に向けた支援」として紹介されるまでに至った。 http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/pr/pub/pamph/chuto_wahei.htm でも、僕は迷っていた。 本人たちがど...

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バングラデシュ 娼婦街での日々

2006年3月 2006年11月ー12月 2007年3月-4月 2007年7月-8月 2007年11月-12月 2008年7-9月 2009年3月 2009年7月・・・ バングラデシュに滞在していた、宝物のような時間。 大学時代の後半、そして卒業後の一年間は、バングラデシュ一色だった。 僕は世界の最貧国の最底辺を生きる人々から、たくさんのかけがえのないものを受け取った。 たくさんの大切なことを教わった。 ****** 僕は滞在中、大部分の時間を娼婦街で過ごした。 初めてバングラデシュに降り立った時、タクシーの運転手に連れて行かれた場所が娼館だったことが、この国の娼婦たちと交流し始めたきっかけだ...

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迷い続けた二年間

2009年からの二年間は、迷い続けた時間だった。 2009年4月に人より3年遅れてサラリーマンとなった。「商社マン」というやつだ。 生意気な話だけれども、学生時代から「時給」で働いてこなかった僕は、「社会人になる」という気負いが全くなかった。 (ただ、「少なくとも数年間は拘束される」という強迫には苦しめられた。今でも2009年3月31日の夜の不安は、覚えている) ****** 正直に言って会社はつまらなかった。 このまま自分がツマラナイ大人になってしまうのか?と毎日悩んだ。 夜は毎日会社近くのタリーズで、ノートを広げ、半年後・一年後・二年後・・・のありたい・あるべき自分の姿を書き続けた。でも、...

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仕事に何を求めるか

僕が先日の「早期離職セミナー」の中で伝えたかったことは、仕事を選ぶ際に「やりたいこと」に捉われるな、ということだった。 僕ら若者は小さい頃から「夢を持て」と教育され続けている。夢を持つこと=美しいこと、と誰が決めたのか、僕はいつも疑問に思う。 そしてその延長戦上で、就職活動をするときには「やりがい」を重視する。「飯を食う」ために働く、という価値観が入り込む余地はない。 けれども、実際に働き出すと「労働時間」「職場の雰囲気・価値観」といったものの重要性に気付く。どんなにやりたい仕事だとしても、毎日終電帰りだと気持ちは萎える。職場でいじめでもあれば、そんな職場には行きたくない。 当たり前のことだと...

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イベント告知【早期離職セミナー】

こんなイベントやります。 今後月1回ペースでシンポジウムをやっていくつもりです。 ****** みなさん、こんにちは。 5月20日(金)に開催する「後悔しない会社の選び方セミナー」のご案内をいたします。 今回は、大手企業を早期離職した3名のゲストをお招きして、 就職活動時の企業選びの基準や、退職理由、早期離職後の今の心境などを語っていただきます。 就職活動での企業選びにお悩みの方や、転職をお考えの方々、 これからの生き方働き方をみつけるチャンスにしてください! =テーマ==============================  ■□ 第一回早期離職対策セミナー □■       後悔しない...

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青春の終わり

as Bauman said, modernity is what it is- as obsessive march forward- not because it always wants more but because it never gets enough; not because it grows more ambitious and its adventurous, but because its adventures are bitter and its ambitions frustrated. the march must go on because any place ...

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わくわくしない人生には耐えられない

友人であり、有名blogeerの玉置さんのブログを読んで、「なるほどな」と共感した。 http://d.hatena.ne.jp/iammg/20110415/p1   ****** 僕が会社を辞めた時、自分が仕事をする上で大事にしたい価値観は下記の三つだと考えた。 1:意味・意義を感じらられる(正しいことをしたい) 2:自分の能力を発揮できる(得意なことを伸ばしたい。下積みはもういい) 3:自由度がある(真夏にスーツは嫌だ) 辞める時は色々な人に「わがままだ」といわれたけれども、今のところは自分の生活費ぐらいは自分で稼げている。独立一年目にしては悪くない。 ******* 上に書い...

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イスラエル・パレスチナ⇒バングラデシュ⇒日本

ずっとフラフラと生きてきたな、と反省している。 パレスチナ問題に関わっていた大学時代の前半、「パレスチナ人が自爆したり、ロケット飛ばしたりするたびに、彼らの状況が悪化している」という逆説によく苛立ちを覚えた。 そして日本人である僕は、彼らに対して「こうするべきだ」と言う力も権利もないように思え、この問題から徐々に離れていった。 バングラデシュに関わっていた大学時代の後半は、「バングラデシュ人の方が日本人よりも幸せなのでは」と悩むようになった。「かわいそう」に見えていた人々が、実は「豊か」に見えるようになった。 その後日本で就職することを選んだ。 日本で就職し紆余曲折を経て、日本で若者問題に関わ...

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現実を生きるということ

人はヒーローをすぐに作りたがるものなんだな、とネットで地震の情報を入れているとつくづく感じた。特定のニュースについて、というわけでないのだけれども。 でも実際には、そんなに美談なんて転がっていないものだと僕は思う。 大学時代の前半、イスラエル・パレスチナと関わっていた時に見えたのは、現実の中を生きる人の姿だった。(つまり日本人の女の子のケツを追い掛け回す彼らの姿) 当時はその事実に違和感を感じたのだけれども、その違和感は紛争の中で生まれた美談で固められた僕のイメージと、彼らの現実との差だということに気付いた。 人は美談の中を生きているのではなく、「現実」を生きているのだ。 バングラデシュでも同...

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力がほしい

地震後、「なにかできることはないか」という思いが書かれたTwitterのタイムラインを見て、イスラエル・パレスチナ、ルーマニア、バングラデシュでの生活を思い出していた。あの頃の僕は、自分にできることを探して、でも見つからず、結局日本での就職を選んだ。 途上国での生活はそれなりに楽しかったし、たくさんの美しい思い出を僕にくれた。それでも、たぶんあのままの生活を続けていたら、どこかで「閉塞感」に襲われてしまうような気がしていた。だからNGOや国際機関への就職、大学院への進学、などの進路を選ばなかった。 ****** バングラデシュ人は優秀だった。彼らにできなくて、日本人にできることが、ほとんど見つ...

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