とりあえず、ブログの更新をサボりすぎた。ちょっと前に下書きとして書いてあったブログをアップします。最近結構病んでます笑 時が経つのは余りに早く、あれから一年の月日が流れた。過去を捨て去り未来への一歩を踏み出した瞬間だと思っていた。しかし僕の予想するよりはるかに奥に、記憶は沈着していた。それはここのところ少しショッキングな出来事が重なり、気付いたこと。 春の中東旅行の時、某大使館の人の家に泊まらせて頂いた。そして朝まで飲み明かした。その時、彼が述べた印象的な言葉がある。 「心に何か深い傷を抱えているような人間が、それを癒すかのように紛争とか貧困に興味を持つものなのかもしれない」 彼自身、その...
...余命二年
僕には、一般的に「母」と呼ぶべきであろう人が三人いる。お世辞でも「恵まれている」とは言えない少年時代をすごした帰結である。今日は二番目の母、現在も戸籍上は「母」となっている人物について、ほんの少しだけ書いてみる。 考えてみると、僕は自分の家族について多くを語ることを拒否してきた。まだ自分の中で受け止める土壌ができてなかったからだ。けれども、これから少しずつ受け入れていかねばならないのかもしれない。もうそうしてもいい時期だ。 二番目の母と出会ったのは僕が高校一年生の夏であった。父の再婚相手として知り合った。そしてそれから僕が高校を卒業するまで共に過した。 僕はこの母を嫌っていた。嫌うなんて言葉じ...
...日々の忙しさの中で
最近忙しい。少し感傷的なブログを書いてみる。疲れた。あ、でも皆さん気にしないで下さい。 財団申請やら事業報告やら新歓やら全てが重なった。僕が全て背負っているわけではないけれども、やはり代表として全体を把握しなければという思いが強い。進行中の様々な仕事がスムーズに進んでいるかに常に気を配る。そして目下の悩みは財政難。このままじゃイスラエル人・パレスチナ人の誰も呼べしない。一体そうしたら、すばらしい夏を創り上げることができるのか。そして僕は彼らと何ができるのだろうか。 僕のような能力のない代表にとっては頭が割れそうにな毎日。自分の肩にかかる重圧に押しつぶされそうになる。この団体を創り上げた方々...
...二年生からの誓い①
旅日記をお休みして、今日は近況を書こうと思う。 二年生の授業が始まった。一年の時は大学の授業を真面目に受けたことがなかった。「本を読んだ方が早い」という言葉を口癖にして、まともに学校に行かなかった。しかしながら大学受験の時と異なり、目の前に明確な目標があるわけではない。団体の活動が忙しい以上それに気をとられ、勉強がおろそかになってしまった。そんな一年間であった。 昼前にのんびり起床し家を出る頃には太陽が南中高度を超えている、そんな怠惰な生活を送っていたのだった。 とりあえず、昨年度とった授業について評価してみようと思う。 経済と経済学(一学期) 前半と後半(マクロとミクロ)で先生が異なる。悪く...
...アラブ人にだまされる
一緒に神殿の丘を見学したテネシーから来たアメリカ人たちというのが、なかなか曲者でだった。音楽団として活動しているらしいのだが、彼らは皆イスラエルが6回目とか7回目。しかも南部出身。それを聞いただけで「キリスト教原理主義」じゃないかと予想。そして結果は期待に違わず。少し仲良くなると、キリスト教に勧誘される。アブラハムとかの歴史とかを色々説明された後に"that’s why・・・・"とか言われGODの存在を説かれたけど、無神論者の僕としては、「どこがthat’s whyなんだ!」と突っ込みたくなる要素が満載。 彼らのうち、空港で僕らに話しかけてきた女性は...
...神殿の丘
エルサレムにてユダヤ人芸術家と食事をした次の日、昨年の夏以来の「嘆き壁」を見て、近くのアラブ料理屋にて飯を食べていた。すると、一昨日空港にて談笑したアメリカ人の一団がレストランの前を通りかかった!! 日本でいうところの「四国」と同じぐらいの面積を持つ国で、「偶然の再会」なんてことが起きてしまったわけです。この再会を喜び、一緒に色々回ることとなった。お金がなかったので両替した後、向かった場所はアルアクサモスク。嘆きの壁の上にある、イスラム教第三の聖地。 2002年9月28日午前7時半、リクード党首シャロンはこの地に足を踏み入れた。当時行われていたキャンプデービッド交渉において首相であり労働党...
...帰国、そして現実へ
先日、かの地から帰国を果たした。パレスチナも二回目となると、もう誰も驚かないものです。大学一年生の約半年で二回、パレスチナ行ったという記録は、なかなか破られないだろうと、勝手に想像する。 さて、かの地での日記も二日目で終了していた。それはなぜか。 観光で行ったつもりのパレスチナであったが、予想外に仕事が入り大忙しだったのだ。テルアビブとエルサレムを何往復したのだろうか。それは数え切れない。 実はこの団体の代表でありながらも、新規の会社に「企業渉外」を行ったことはなかった。引継ぎですら某F氏から引き継いだ某社のみであった気がする。そんな僕にとって初の新規の渉外先はなんとイスラエルの企業であった。...
...art of peace
昨日、ネットカフェにいるとき、あるユダヤ人の芸術家のおばさんに話しかけられた。日本の茶の湯やら墨絵に興味があるらしく、アトリエに連れて行ってもらった。「平和」に関する芸術を作っているらしい。(団体の皆様、もし「芸術」からのアプローチを考えるのならば、彼女にコンタクトをとって見るのはおもしろいかも) その後、エルサレムの新市街の高級ホテルの喫茶店でお茶とケーキをご馳走になる。話は当団体についてに及ぶ。彼女もまた「対話」の重要性について、いろいろと語ってくれた。 彼女は「伝統文化」の重要性についても語っていた。今必要とされているのは、紛争やら個々の事例ではなく、別の視点が重要だと。 しかし彼女は最...
...Jerusalem
今エルサレムのネットカフェにてこのブログを書いている。今日の早朝到着した。 二度目のエルサレムである。感慨深い。アメリカにも韓国にもイギリスにも行ったことがないのに、イスラエル・パレスチナの地には二度も来てしまった。しかも半年という短いスパンでだ。某N氏のように「一年に三回」もパレスチナに行くような男に僕もなってしまうのだろうか笑 月曜の早朝、うちの泊まりに来ていた笹本氏とともに家をでた。羽田空港にて容子嬢と合流。JALにて関空へ。関空にて我が細君とお話しする。この献身的な細君はお弁当まで作ってきた。ありがたい。 飛行機が少々遅れ1時頃関空発アムステルダムへ。まったく睡眠をとってない僕は爆睡。...
...一時間後
僕は今パソコンの前でブログを書いている。一時間後、パレスチナに向かう。しかし、まだ荷物はまだ何もつめていない。まぁこんなもんだろう。 日曜日は某団体のイベントであった。その後打ち上げに顔をだす。 この団体の女子高生メンバーの恋愛相談を受ける。気持ちが若返った気がした。よく考えたら、弟と同い年であった。 そんなことを考えていたら、終電の時間になっていた。急いでかえる。パレスチナまで行くのにまったく緊張感がない。 羽田→関西空港→アムステルダム→テルアビブというルートなのだが、京都に住む細君が、わざわざ高速バスで二時間かけて関空までくるらしい。ありがたいことである。...