「ガザ」という言葉がニュースになる時はいつも、2・3年おきに繰り返されるイスラエルからの侵攻についてだ。 けれども、美しい海やフレンドリーで優しい人々がいることは、あまり知られていない。 そこでは他の国と同じように、普通の日常が営まれている。 日の沈む頃になると、夕日に赤く染められた海辺に人が集まってくる。いつの間にか、人で砂浜が埋め尽くされる。 日中は暑いから海水浴はこの時間から始まるらしい。 その海辺に行くと、近くの小さな商店からおじさんたちがやってきて、無料でコーヒーを振舞ってくれた。その後コーラを買おうとして財布を取り出しても、お金を受け取ってくれなかった。 世界一のホスピタリティだっ...
...5周年
キズキはこの8月で5周年を迎える。 創業5年目で売上は1億近くに達した。 創業の頃からやっていた不登校・中退経験者を対象とした「キズキ共育塾」の運営に加え、専門学校・大学を対象とした講師派遣・研修・コンサルティング事業、行政から委託を受けて行っている就労相談・トレーニング事業、ベトナムでの事業など、様々な事業を行うようになった。 特に、キズキの主幹事業である「キズキ共育塾」では、中退・不登校などを経験した若者たち160名が通う塾になった。 この5年間で関わった若者たちのうち、95%は進路の決定まで導けた。今も多くは生き生きと大学に通っていたり、すでに就職していたりする。 け...
...バングラデシュとイスラム原理主義
バングラデシュという国は、僕の青春を過ごした場所だ。 大学2年生の頃、南アジアを旅する途中にただ立ち寄るだけのつもりだったバングラデシュで、セックスワーカーの女性たちと出会い、その後娼婦街でドキュメンタリー映画を作っていた話は、昔のブログに書いたことがある。*1 https://yasudayusuke1005.wordpress.com/category/バングラデシュ/ この矛盾だらけの社会で自分は何をしたいのか、そして何をすべきなのか、そういう種類のことに悩み続けていた20代前半の頃、その答えを僕にくれたのはバングラデシュで出会った人たちだった。 バングラデシュでできた親友は、ストリート...
...15年前の記憶
川崎市で13歳の少年が殺されてしまった事件は、僕の遠い記憶を呼び覚した。 中3の時に寮を出て祖父母の下で暮らすことになった僕は、地方都市の公立中学に転校した。親もいない、友達もいない、そんな孤独だった僕に話しかけてくれたのは、同じ中学のA君だった。どこに行ってもいつも孤独を感じていた僕は、A君やその友人たちと夜のコンビニにたむろするようになった。 転校して2か月ほど経ったある日、A君が先輩から借りた原付に乗って、隣の中学の女の子たちと遊んでいると(もちろん無免許である・・・)、A君が転んでしまった。幸い大きな事故にはならなかったのだが、問題はA君が後ろに乗せていた女の子がB氏という暴走族メンバ...
...異なる価値観の中で生きるために。
20代前半の多くの時間をイスラム教国で過ごした僕は、保守的なムスリムから「イスラム教を信じないお前はダメだ」と言われることがよくあった。残念ながら、日本でイスラム教とは無縁に育った僕にとって、響かない言葉だった。(ほとんどのムスリムは僕の価値観を尊重してくれたが) 同様に、某フランスの事件でも、「フランス人が表現の自由をどれだけ大事しているのか」という話をよく聞いた。けれども残念ながら、それも全く異なる価値観を持つ人たちには届かないのだと思う。フランスの文化で育った人以外に、フランスの価値観は響きづらい。 (僕自身も、保守的なムスリムからの言葉に腹が立ったのと同様に、フランス人からの3.11の...
...起業から3周年/10代の頃の記憶について
8月に、起業してから3周年をむかえた。いつの間にか30代を迎えていて、先週には31歳になった。 苦しかった10代と比較すると、20代は「起業」をはじめとして意味のあった時代だったように思う。 何度もこのブログに書いているように、20歳でICU入学後イスラエル・パレスチナの平和構築に関わり、その後働きに行ったルーマニアで大きく挫折したけれども、バングラデシュで立ち直り、日本に戻って就職したけれどもすぐに退職、なんとか立ち直って起業・・・ 挫折を繰り返しながらもなんとか這い上がり、起業をして3年が経ち、現在はアルバイトやインターンの方々を含めると50名以上のスタッフが働く法人となった。 このブログ...
...新入社員の頃
4月になった。 大学に入学してから10年。 フルタイムの仕事を始めた人を「社会人」と呼ぶならば、「社会人」になってからは5年が経った。 この時期になるといつも思い出す。5年前に新卒で大企業のサラリーマンになった僕は、その会社員生活が半年もできなかった。 そして、自分が情けなくてどうしようもなく、鬱にまでなった。今でも想い出すと苦しい気持ちになる、大きな挫折だった。 ******* 会社員生活はしんどいことの連続だった。 油田権益の投資の部署に配属された僕は、基本的には投資管理というバックオフィスに近い業務だった。 お客さんと会う時間がないのであれば、通勤はラッシュを避けたかったが、大企業だから...
...黒子のバスケ脅迫事件から思ったこと
黒子のバスケ事件の被告人意見陳述が僕のTwitter上で話題だったので、読んでみた。 本当に胸が締め付けられて苦しすぎる文章だった。 http://bylines.news.yahoo.co.jp/shinodahiroyuki/20140315-00033576/ http://bylines.news.yahoo.co.jp/shinodahiroyuki/20140315-00033579/ その犯人の陳述書の中で、僕が印象に残ったフレーズを抜粋する。 ****** (引用開始) 「いわゆる「負け組」に属する人間が、成功者に対する妬みを動機に犯罪に走るという類型の事件は、ひょっとしたら今...
...ルーマニアの思い出
2週間ほど、友人たちと東欧を旅行していた。 ポーランドのクラクフでアウシュビッツを見た後で、ハンガリーを経由して、セルビアのノビサドという街まで南下した。 そこでサッカー日本代表戦を見た後で、友人たちと分かれ、一人旅となった。 タクシーと電車を乗り継いで16時間、ルーマニア北西の街、クルージュナポカを訪れるためだ。 この街には、22歳の頃に一時期住んでいたことがある。 逃げるようにしてこの街を離れてから七年半も経ったけれども、たいして街は変わっていなくて、その風景は忘れかけていた記憶を蘇らせた。 深夜1時47分に列車がクルージュナポカ駅に到着すると、予約していた駅近くの宿に直行した。 翌日は、...
...生活保護世帯の教育支援について
珍しく時事ネタでも。 僕の専門は福祉と教育の中間領域なので、貧困家庭の教育支援には関心を持って政策的な流れを見ている。 以下、毎日新聞より転載。 ****** 学習支援:貧困断絶へ、生活保護世帯対象に教室開校へ−−東京・府中市 2013年09月19日 生活保護を受給する家庭の子どもが成人後も貧しさから抜け出せない「貧困の連鎖」を断ち切ろうと、東京都府中市が、生活保護世帯の子どもを対象とした無料の学習支援教室「みらサポ」の開校準備を進めている。関連経費886万円を含む補正予算案が18日、9月定例市議会の予算特別委員会で承認され、事業の10月スタートが固まった。【斎川瞳】 「みらサポ」は文化センタ...
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