ここ一年以上作り続けているドキュメンタリーの主人公の一人は、オニックというダッカの娼館のスタッフだ。 彼はバングラデシュで高校を卒業後、マレーシア、インドネシア、シンガポール、タイと、海外で出稼ぎを行い、そこで貯めたお金でバングラデシュに自分の店を持った。けれども、一年と経たないうちに、その店は強盗に破壊されてしまった。 「職がない」 バングラデシュにいると、あちらこちらで聞かれる話だが、彼も状況は同じだった。 自分の店を失った彼は娼館のスタッフになった。 初めて会ったのは、去年の秋、僕が二回目にバングラデシュを訪れたときだ。 僕がその年の春に滞在した娼館を訪ねると、彼は新しいスタッフ...
...NGOについて
大学に入った頃は、将来NGOで働ければと漠然と考えていた。 9.11とその後のアフガン空爆、イラク戦争が大学進学を目指すきっかけとなった僕にとって、国際協力の現場に行くことへの憧れは大きかった。 しかしその後、実際にNGOとかかわり、自分も職員として仕事をするにつれて、仕事のクオリティの低さ、能率の悪さに辟易するようになった。ダラダラと仕事し、定時に上がる。給料も激安。 そのため、優秀な人材は集まらず、さらに仕事のクオリティは下がる。そのスパイラルだ。 (もちろんすべてのNGOに当てはまるわけではないが) だから、僕は、所謂市民社会論の中で語られる、NGO・NPOへの賞賛にも辟易として...
...近況②(仕事編)
5月まで働いていたITベンチャーは、ITに興味が持てなかったこと、マックの時給より給料が安かった(固定+歩合だったけど)ため、辞めた。正社員ではなく給料の出るインターンという感じだったので、しょうがないとは思う。 6月から新しい仕事を二つ始める。 ひとつは中国雲南省で活動する教育系NGOの職員(http://www.jyfa.org/)。 私は中国語がわからないので、主に国内の広報とか営業とかを幅広くやるみたいだ。 週三回朝から夕方まで働くけど、給料も悪くないし、何より仕事が楽しそう。 経験も積めるし、給料ももらえて一石二鳥だとは思う。 しかし、資金が常に不足しているNGO業界で...
...時は流れて
先輩の結婚披露宴に出席した。 今までとにかくお世話になった人だ。 時間は確実に流れている。 初めて会った時のことや、イスラエル・パレスチナに連れて行かれたときのこと、そして散々怒られた時のこと、色々なことを思い出した。そして、この人はもう父親になるんだなと思った。 二人ともすごく幸せそうだったので、すごく嬉しかった。 披露宴には昔の仲間たちが集まって、さながら「同窓会」のようになったのだけれども、皆それぞれの道で頑張っていることがわかった。こんな風にずっとつながっていられることも、すごく幸せだと思った。 過ぎ去った時間に、懐かしさや寂しさを覚えたけれども、それでもこんな時間の流...
...近況1(専門学校編)
春から週三回、某大学付属の専門学校で、写真と映像を勉強している。 学費も自腹だし、それだけの覚悟があって通う決意をしたのだけれども、段々と何がしたいのかが分からなくなってきた。 簡潔に言えば、自分の学びたいことが、学べない気がしている。 写真に関して言えば、僕が撮りたいのは、報道写真、ドキュメンタリー写真と言われる部類のものであって、スナップ写真などではない。(スナップ写真のおもしろさは、正直分からない。) しかし、授業で報道写真・ドキュメンタリー写真を扱うことはないし、それに興味のある学生もほとんどいないみたいだ。 (ちなみに最近見た中で一番よかったのは、亀山亮さんの写真集。よくあんな表...
...Hips don’t lie
ネットサーフィンをしてたら、懐かしいものを見つけた。 http://musicbox.sonybmg.com/video/shakira/la_tortura ShakiraのHips don’t lieだ。 その頃東欧ではShakiraが大ブームで、ルーマニアでもブルガリアでもマケドニアでも、一日一回はどこかで耳にしていた。 どうにもならない挫折を抱えながら、コソボの夕日の前に立ち尽くしたとき、後ろに流れていたのはこの音だった。 考えてみたら、あれから一年だ。 ちょうど去年のゴールデンウィーク、僕は東欧行きの飛行機の中にいた。 期待なんてものはこれぽっちもなくて、...
...マレーシアで見た「共生」
去年の秋にバングラデシュに向かう途中、マレーシアでトランジットをして4日ほど滞在した。 空港を下りタクシーでクアラルンプールへ向かったが、僕らはクアラルンプールの喧騒には一日で厭きてしまい、その翌日にはバスで約三時間かけて、「クアラスランゴール」という場所を訪れていた。ガイドブックにも載らないような小さな町だけれども、蛍のきれいな川があると聞いたことがあった。 バスターミナル近くの小さなボロ宿に荷物を置くと、早速情報収集を始めた。近くの食堂に入ると、華僑系マレーシア人の店主が、「蛍ツアー」を勧めてきた。 この食堂は旅行代理店みたいなこともやっているみたいだ。 夜再び食堂に行...
...存在
バングラデシュから帰ってきてすぐに、大学、専門学校、会社が始まった。 平日週二回は朝から夜まで大学、週三回は夕方から夜まで専門学校、週三回朝から夕方まで会社、土曜日は会社もしくは専門学校の補講がある。 専門学校では芸術方面の人々と、ITベンチャーではビジネス方面の人々と知り合うことができた。 どちらも今まで余り交流することのなかった人たちだ。 だから、彼らから貪欲に学んでいきたい。 何かを感じたとき、そこにある不条理に立ち向かえる存在でありたい。 東京でも、イスラエル・パレスチナでも、そして今回のバングラデシュでも、僕は感じていた。 でも「力」が足りない。 だから、...
...近況と今後
最近忙しくてブログの更新をしていなかったので、近況だけでも走り書きしておこうと思う。 整っていない文章を書くのはすごくいやなんだけど、時間もないのでとりあえず。 ① 最近はとにかく忙しかった。 朝から夕方までは仕事に行き、その後学校。 休日は製作中の映画の編集や、バングラデシュで行う予定の写真のプロジェクトの準備に追われていた。 ② ここ二年ぐらい、将来についてずっと同じことで悩んでいる。 二年前の夏、日本にイスラエル人・パレスチナ人を招き会議を行ったときから、「多様で美しい世界を感じながら、その中にある不条理に立ち向かっていける存在になりたい」と、思うようになった。(すごく...
...世界を見たいと思った理由
二年前、とある学生団体に頼まれて、イラクの大学生をうちに泊めたことがあった。 国際関係論を専攻しようと思っていた当時の僕は、当然のことながらイラク戦争の是非を彼に問うた。 幼かった当時の僕は、彼からの答えに、「アメリカ非難」を期待していた。 けれども彼は僕の予想に反して、「隣国からのテロリストからイラクを守っている」とアメリカに対する感謝を述べた。 海外経験も少なく、物事を多面的に捉えることができなかった当時の僕は、本当に戸惑った。 戦争に反対して本の中で、テレビの中で熱弁を振るう「知識人」たちや、各地で行われた自己満足的なデモ行進を思い出した。 爆撃下で苦しんだイラク人が...
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