弟に電話した。センター試験の結果が気になったからだ。感触としては、英語は9割弱、化学は9割程度だそう。ちょっと悪いが、明日で巻き返して欲しい。後期は東大に出せそうになかったら、京大に出すと言ってた。兄としては京都に宿ができると嬉しいが、東大に行きたいのならば東大に合格して欲しい。
ミーティングに向かうために電車に乗った。ふと去年の今頃が、頭の中でよみがえる。去年の今頃は絶望の中にいた。理由は数学、物理での失敗だ。
一日目の物理の試験が始まった時、頭が真っ白になった。30分ぐらいマトモに考えることができなかった。手も振るえ続けていた。
二日目、数学の試験が始まった時、緊張は最大に達していた。物理の時と同様、手の振るえが止まらなくなっていた。問題の読み間違えも続出。三角比の問題では三角形OABをOBAとかと勘違いして、コサインが1以上になってしまうなんてよくわからないことをやっていた気がする。確かなことは三角比を丸々20点落としたということだ。
募集定員減の東大受験は諦めざるをえなかった。物理、数学は元々苦手意識が強かった。もう浪人はできない、その思いが緊張を増幅させた。
浪人中、起きて一日中勉強して寝る、そんな生活を二年間続けていた。「大学に行く」「何かに向かって頑張る」そんな経験が自分をきっと変えると信じていた。「peace」に対する思い、「世の中なんてどうなってもいい」と他者への想像力のかけらもなかった過去への後悔も強かった。だから大学に行きたかった。二年間の浪人生活を支えていたのはそんな思いだった。
けれども、もう限界が来ていた。毎日夢の中でも「大学に落ちる夢」を見続けた。「生まれ変わり」を信じて必死になっていたけれども、不安は拭えなかった。その不安が現実となったのが、去年の今頃であった。結果は一浪目のセンターより悪かった(一浪目は前期も後期も東大を受けられた)、東大模試で日本史三位を取れるようになるほど、確実に実力はついていたはずだったのに。
センター試験の帰りの地下鉄の中、目を瞑り涙をこらえた。「努力は報われる」なんて嘘だし、人は一度堕ちたら「生まれ変わる」ことなんて不可能なんだと悟った。誰よりも努力しても不可能なことがあるのだと気付いた。そして東大受験を諦めた。
けれども今なら思う。この二年間がなければ、今の自分はなかった。大学に入ってもここまで頑張り続けていられたのは、この二年間を無駄にはしないという思いがあったからだ。努力が直接的には報われることはなかったけれども。
そんなことを考えた、小雨降る冬の駅のホーム。電車に乗る瞬間、去年涙を一人流した地下鉄の中の情景が蘇る。
結果はどうであれ、明日のセンター試験も精一杯頑張って欲しい。何かに向かって必死に頑張ったその思い出が、後になってかけがえのないものとなるはずだから。