金曜~土曜日はRINGという団体の合宿に参加した。金曜日学校が終わると、僕は当団体のヨーコ嬢と共に川崎へ。
この団体はイラクやイスラエル・パレスチナ、アフガニスタン、コソボ、アメリカなどの地域から若者を招き、合宿をしながらお互いの意見を交換し、それをシンポジウムにて社会に発信していくという試みを行っている。若者達はが考えていることを共有しあい何か社会に伝えていこうということだ。三月に「テロはなぜ起きるか」というテーマのもとでシンポジウムが行われるのだが、当団体もそれに協力しようということで合宿には参加した。リング代表のゲッツとは、考えていることが近く妙に馬が合う。この日の合宿の様子は、後ほどブログに書く。
この日、シンポジウムのポスターを見た。
「つきあってください。」
その文字と共にハートマークやらの入った戦車が描かれており、その砲筒の上には男女が向かい合って立っている。男の手には、ハートの型が載せられている。(写真参照)
かなりシビれた。胸の奥が暖かい気持ちになった。全てがそこに凝縮されているような気がした。ヨーコ嬢も気に入っていたみたいだ。
リングの合宿が終了しメンバーと別れた後、渋谷にて飲み会があった。某年上の女性に誘われたのだ。25歳前後の人たちが11人ぐらいいた。
ICU卒の人も多かったし、オックスフォード卒の人までいた。皆一流企業に勤めている。結構派手目でキレイなお姉さま方もいた。(←そういうのが好み)けれども、余り楽しくなかった。話の中で学ぶべきところがなかった。二次会は行かず、「明日忙しいから」と適当な理由をつけて帰った。リング合宿が本当に楽しかったから、それとの差で一層退屈に感じてしまったのだろう。
先日はブログにてぐたぐた書いたが、結局のところ僕は「平和」とか「国際関係」とかそういった世界以外では生きられない気がする。苦しんでいる人を助けたいし、苦しんでいる人が幸せになる姿を見ると僕も嬉しい。もうその「相互関係」から抜け出せないような気がする。
そして、今日の飲み会やらリングの合宿(恋愛分科会が開かれた笑)を経て考えたこと。
僕は今までお姉さま系で年上で、頭が良くて・・・と好みのタイプを列挙していたが、実はそんなことはどうでもよく、「根底にある感情が共有できること」が最も大切なことのような気がする。
前の彼女と付き合っていた頃、たまたま近所でやっていたイラクの劣化ウラン弾の写真展にいった。写真を見た瞬間、涙が勝手にあふれ出した。何もしてない、できない自分が悔しくてどうしようもなかった。けれども彼女は特に何も感じていなかったようだった。その時、「根底にある感情」が共有できない辛さを知った。キレイで年上であっても、「感情」を共有できなければ辛いだけなんだろうなぁと思った。
まぁそんな理想論を語ったところで彼女ができる当てはない。「根底にある感情」を共有できる彼女を募集中。それでちょっとオシャレなら尚嬉しいです(笑)