とりあえず、ブログの更新をサボりすぎた。ちょっと前に下書きとして書いてあったブログをアップします。最近結構病んでます笑
時が経つのは余りに早く、あれから一年の月日が流れた。過去を捨て去り未来への一歩を踏み出した瞬間だと思っていた。しかし僕の予想するよりはるかに奥に、記憶は沈着していた。それはここのところ少しショッキングな出来事が重なり、気付いたこと。
春の中東旅行の時、某大使館の人の家に泊まらせて頂いた。そして朝まで飲み明かした。その時、彼が述べた印象的な言葉がある。
「心に何か深い傷を抱えているような人間が、それを癒すかのように紛争とか貧困に興味を持つものなのかもしれない」
彼自身、その傾向があったとも述べていた。そして、僕自身もそれを否定できなかった。
僕は僕自身の傷を癒すために、自己満足の「国際協力」を行っているのだとしたら、そして紛争、貧困、世界で今起こっているあらゆる「不条理」を、自分が経験してきた「不条理」に投影しているのだとしたら、そのような活動に意味があるのだろうか。人を助けたい、幸せにしたいという思いは、純粋なものではないのだろうか。
この前そんな話をいつもの仲間にした。
「もちろんこの活動にだって自己満足な部分は存在すると思うよ。でもそれだけじゃないわけじゃん。」
あの街が大好きで、あそこに生きる人々が大好きで、大切な友人が住んでいて、それだけでも十分な理由となるのかもしれない。よくわからないけれども。
答えは見えないけれども、見えない中でも僕は毎日を真摯に生きたい。見えない未来をじっくり見据えて、過去を捨て去るのではなく「乗り越える」ために。
2005年5月10日
いい文章ですね。昔からよく言われる事ですし、当てはまっている人も多いと思います。私は学術的な動機な人間なので違いますが(笑)