土日に時間があったので、まとめてワードで日記を書いたのだが、ネットが研究所にしかなく、平日は忙しい&土日は研究所に行かない以上、土日にまとめてワードでブログを書くというのは悪くないなと思う。
普段は直接ブログに文章を打ち込んでいるのだが、一回書き終わったあと修正をしてしまい、一回文章をsubmitしてから一時間ぐらい推敲していることもある。つまり未完成の文章を一時WEB上に挙げているのだ。しかしこれはあまりよろしくないなと思っていたので、次から土日にワードで文章をつくってWEB上にあげようなんてことを考えている(RSSリーダーを利用している人には、今まで未完成の文章を読ませていたことになってしまうのだろうか)。
さて、このごろ考えていることを。
日本を出国する前に後輩が企画してくれた私の送別会の時、某先輩が私に言った。
「日常を生きることが一番難しい。」
宮台の著作を読んだのかなと思ったけれども、そういうわけではなさそうだった。
こっちに来て、東京でぼんやりと過してきた「日常」が実はかけがえのないものだったことに気付き始めている。
今の生活は正直きつい。ヨーロッパの田舎町は何から何までが私が住んでいた東京とは違い、ふとした瞬間に心細くなる。
今週末もクラブに行った。生活や文化を深く知るために「人の誘いを断らない」をポリシーに生活しているわけだけれども、酒がそんなに好きではなく踊ることが嫌いな私は、非常に居心地が悪い。一昨日は夜中の二時に、なんとか家に帰った。
そして東京で過ごす日常生活の中で、もっともっと日常的に英語を勉強しておけばよかったなと、つくづく思う。ネパールやインドで会った日本人の大学生たちに、「何であなたは英語が話せるのか」とおだてられているうちに、調子にのっていたようだ。
この三週間、ほとんど日本語を使っていない。日本人の姿をこの街で見ない以上、当たり前なのだが。そうなると仕事から日常会話まで全て英語なわけで、英語が不自由な私はどうしても格下に見られてしまう。悔しくて涙が出そうになる。
もちろん日々学んでいることもある。それは圧倒的なマイノリティとして生きるということだ。
アジアや中東と違って、外国人に対してWELCOMEな雰囲気はない。自分から彼らのコミュニティに入っていかなければ、誰も相手にしてない。周りに日本人もいないので、他人に頼ることもできない。
前述の某先輩がよく私に言っていた。
「お前は場を与えられないと、何もできないからな」
大学の教授に個人的に進路相談に行った時、彼が私に言った。
「何をやるにしても必要なのは泥臭さだ」と。
彼は松下政経塾にいたとき、三ヶ月間テレビの訪問販売をやらされたそう。
はじめは全く相手にされなかったものの、何度も足繁く通ううちに、三ヶ月後には100万円のテレビが売れていくようになったそうだ。
今回のルーマニア生活は私の中にある「弱さ」に打ち勝つための試練だと思っている。
日々「成長」することを意識して生きるということ。そのようなヘーゲル的な生き方は嫌いだが、「泥臭く生きる強さ」を身につけるということ以外にここにいる価値を見出せていないのも事実だ。
日本に帰国してから書こうと思うけれども、どうも一部の学問は現実から離れてしまっている気がする。特に平和学なんてものは。