前日のブログについて

今日は休日なのだが、研究所が空いていたので来てしまった。
三日連続のブログ更新。
 
前回、東京に平和に暮らす若者がイスラエル・パレスチナに関わる上での「立ち位置」に関する悩みを書いたら、今ISMに参加している友人S氏からすぐにコメントがきた。私もたったいまコメントを返したところ。(前回のブログのコメント欄を参照のこと)
 
前回のブログで多少誤解を与えてしまった部分があるかなと思い、補足する。 
 
 
まず、東京で平和に生きる若者が、イスラエル・パレスチナの紛争に関わる資格がないというつもりは全くない。
 
もちろん、私たちにもできることがあると思っているわけで、だからこそ私は二年間も単位と睡眠時間を犠牲にして色々やってきたわけだし、これからも何らかの形で関わっていけたらと思っている。
 
ただ私は「お前ら平和になれよ」とお互いに強制することはできないなと思う。「対話したいと思っているなら、協力するよ。そしてテレビや新聞などの露出を通して日本社会に伝えることで、世界の1人でも多くの人が、この地域の紛争を知り何かアクションを起こすように俺らは協力する。」としか言えないなというのが、某団体で活動していた時の考えだ。
 
 
 
またISMの活動にイスラエル人が加わること素晴らしいことだなと思う。
 
場所で生きて自殺爆撃の恐怖に怯えて暮らしていたり、ユダヤ人として迫害の歴史を背負っていたりして、その上で「パレスチナ人と共存します」という、イスラエル人としての非暴力の意思表明には共感する。すごいことだと思う。
 
でも、あの場所に生きていない私が加わることには抵抗がある。
私にはイスラエルの占領政策を心の底から批判する資格があるようには感じない。
 
イスラエル人・パレスチナ人と計2ヶ月近く共同生活をしてきて、彼らからしても私は第三者でしかありえないなと感じた。逆に言えば、第三者だからこそできることをしたいと思い、今まで色々やってきた。
 
 
 
いずれにせよ、S氏のコメントには考えさせられる点も多いので、時間があったら見て欲しい。
 
私にとっては非常に難しい問題だ。

2 Comments

  1. shuhei_desu
    2006年6月11日

    「対話したいと思っているなら、協力するよ。そしてテレビや新聞などの露出を通して日本社会に伝えることで、世界の1人でも多くの人が、この地域の紛争を知り何かアクションを起こすように俺らは協力する。」

    同意するよ。
    もちろん、俺もその立場。
    だけど、その対話って結局政府レベルの政治的話し合いでしょ。

    そうじゃなくて、現状として地域の人々があってる悲惨な現状は、その対話の可能性と少しかけ離れてる場合があったりするよね。

    おれも、こっちに来てから日本人でテルアビブに15年住んでいる日本人と知り合いになった。
    その人の娘はイスラエル人と日本人のハーフで、おばあちゃんが超正統派ユダヤ人で、娘も13年かけて改宗したのよ。
    学校で教わることは、もちろん偏ってるけど、もちろん彼女が日常生活で抱えている不安なんて俺らの理解をこえる物であることも確かです。

    ただ、今のイスラエルの占領政策がそれと関係あるのか。
    といわれたら、ありませんと答えます。
    もし、イスラエルが壁をグリーンラインにたてて、西岸地区の入植地を全て撤退させ、水源を返し、西岸内の数あるチェックポイントをなくしてグリーンライン上にのみチェックポイントを設けたら。
    それなら、すこしは正当化できるかもしれない。
    それに、イスラエル国内のテロ防止ならばそれで十分ではないか。と思うけど??

    でも、明らかにイスラエルの現在行っている占領政策は、テロ防止なんて代物ではなく、水源の確保、ヨルダン渓谷の開発、工業化利権など経済的な利権絡みで撤退しないだけで、テロに対する安全策なんて奇麗ごとは全く当てはまりません。

    自爆攻撃やイスラエルの存在否定、投石などに自分は反対の立場だけれども、それに対する対応策と言うには度をあまりにも超え過ぎているイスラエル政府の占領政策には完全に反対です。

    返信
  2. yusuke
    2006年6月12日

    >だけど、その対話って結局政府レベルの政治的話し合いでしょ。
    >そうじゃなくて、現状として地域の人々があってる悲惨な現状は、その対話の可能性と少しかけ離れてる場合があったりするよね。
    それは違うよ。俺が今までやってきた活動は、一般民衆レベルでほとんど対話の可能性がないから、だから普通の大学生の若者を日本に呼んで、「対話の機会」を創出するってことだよ。
     
    現地ではお互いに会う機会がすごく少なくて、お互いの意見を聞いてみたいって思っている人がいるなら、俺ら東京の若者でも協力できると思った。だから企業とか自治体を廻って協力を依頼して、12名の学生を招致して一ヶ月の共同生活の場を創った。
     
    そして自分がやってきたことで、イスラエル人・パレスチナ人たちが何かを感じてくれたを見て、自分はこのスタンスでよかったのだと思ってる。
    同時に日本社会へのアドボカシーも行って日本で現地を支援するような輪を広げたいと思ったし、それに関してもかなりの効果をあげたと思っている。
     
     
     
    個人的に言えば、イスラエルの占領政策には当然反対だし、特に最近は本当に卑怯だと思う。
    なんでこんなことばっかりするのか納得がいかない。
     
    ただ、イスラエル・パレスチナにたくさん友人がいて、かけがえのない時間をイスラエル人・パレスチナ人と過ごしてきたからこそ、彼らに対して本で読んだ知識や現地で感じたこと(次で三回目ね)を振りかざして、何かを主張することは俺にはできない。それが今のところの俺の考え。
     
     
    現地で周平に会えないのが、残念だよ。
    そういやお互い会ったときは女の子の話しかしてないような気がするので、東京でじっくりその辺を話せたらと思う。

    返信

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