イスラエル・パレスチナに行ってきます

本当は昨日のブログの続きを書きたいのだけれども、航空券をとったのでイスラエル・パレスチナ行きの話を。
 
旅程は6月21日~7月5日の二週間。本当は長くいたいのだが、多忙な同僚のせいで早く予約できなかったため安い便は一杯。というわけで、こんな時になってしまった。
 
映画を撮る件も、同僚が多忙のため(といっても夜は飲みにでかけているんだが)うまく渉外の手はずを整えられず難しくなりそうだ。ルーマニアと日本では仕事に対する感覚がどうも違うらしい・・・
 
 
 
 
今日は研究所にパレスチナ人が来ていた。
毎週金曜日のISMのビリン村の活動についての映像を見た。友人S氏がちょうど今参加しているやつだ。
 
私のいる研究所は、平和学の父ヨハン・ガルトゥングによって創られたTRANCENDグループの関連研究所だ。ISMの活動はTRANCENDグループの標語である"Peace by peaceful means"(平和的手段による平和)に共鳴するものもあるのかもしれない。
 
ISMとはInternational Solidarity Movementの略でイスラエルのパレスチナ占領に反対して、壁やチェックポイント、イスラエル軍が土地を接収する予定地などで抗議活動を行っているグループ。非暴力的手段で、イスラエルの占領を止めようとしている。
 
占領に反対するイスラエル人だけでなく、海外からの参加者も多い。
しかし、これはあの場所に生きている人間がやるからこそ、意義のある行為なのではないかと考えたりする。
 
 
 
 
 
ある知人のブログで、社会科学における「立ち位置」の話があった。
 
それを読んで、イスラエルとパレスチナの平和活動みたいなものを二年間もやる中でいつも考えていたのは「立ち位置」の問題だったのを思い出した。
 
 
あの頃、東京に住んでいながらイスラエル・パレスチナの問題にかかわることに、ずっと「おこがましさ」を感じていた。
たまにイスラエル・パレスチナに行き、夏に日本で会議を開いて、彼らに同情した気になることが本当に正しいことなのかずっと考えていた。
東京で命の危険など感じずに生きる私が、イスラエル・パレスチナに「平和になれよ」とすることが正しいことなのか、悩んだ。
 
だから去年私は、
「私たちは君達に対話をする場所を提供することができる。だから、君たちは自分たちの現状を日本社会に伝えて、日本社会を外に開かせて欲しい。」
とイスラエル人・パレスチナ人によく話していた。それしか方法がなかった。
 
 
 
 
後輩のN嬢がつくった昨年の夏の会議のドキュメンタリーを、親しくさせて頂いているジャーナリストの方に見せた時に、言われた言葉がある。
 
「いい出来だと思う。でも、「じゃあお前はどう考えてるの?」って思われるかもね。」
「でもそれでいいのだと思う。」
 
このドキュメンタリーは完全に「イスラエル人・パレスチナ人」に焦点をあて、日本人には焦点を当てなかった。東京で命の危険を感じずに暮らしている若者が、安易に見解を述べることには抵抗があった。本当に悲惨な現実に直面した時、「立ち位置」など考える余裕があるのかは分からないとしても、そう思った。
 
 
 
 
 
 
 
さて、私にとってあの場所は世界の紛争の一地域であると同時に、数え切れないぐらいの友人と数え切れないぐらいの思い出が詰まった場所だ。
 
大学に入って初めての夏、あそこで世界に直面した。「世界には悲惨だけの場所もないし、美しいだけの場所もない。」そんな当たり前のことに、あの夏気付いた。
 
 
 
 
とりあえず、友人たちに会ってきます。

2 Comments

  1. shuhei_desu
    2006年6月10日

    >占領に反対するイスラエル人だけでなく、海外からの参加者も多い。
    >しかし、これはあの場所に生きている人間がやるからこそ、意義のある行為なのではないかと考えたりする。そうなんだけど、もしパレスチナ人だけで非暴力デモを行ったら、どうなるか知ってる?問答無用で実弾が飛ぶ可能性が高いです。インターナショナルズやイスラエル人の参加があるから、催涙弾や音響爆弾、ゴム弾だけで済んでるわけです。来てみたら実感できると思うよ。ビリンの村で投石する少年(投石には反対だが)にはゴム弾と催涙弾だけど、インターナショナルズのいない地での投石にはドムドム弾を使用して多くの子供が死んでいます。俺が着いた当日でも、ラマラで投石中に一人のパレスチナ人青年がドムドム弾で頭貫かれて死にました。ISMの理念を自分は100%理解してはいないし、多分合わない部分もあると思うけど、俺はISMにインターナショナルズが参加する事には何も疑問を憶えません。自分の「立ち位置」に付いての議論だとか、大事だと思うけど、そんなことははっきり言ってインテリな議論で、ここにある現実とは遠く離れているような気がするなぁ。
    「東京で命の危険を感じずに暮らしている若者が、安易に見解を述べることには抵抗があった。本当に悲惨な現実に直面した時、「立ち位置」など考える余裕があるのかは分からないとしても、そう思った。」もちろんそう言う気がするけど、むしろ命の危険を感じずに、平和すぎる社会に住んでいる俺らだから言えることもいっぱいあると思うよ。俺は、こっちに来てから誰と話す時も自分は日本なんて言う安全で経済的にも豊かな国から来た人間です、っていうのを表明して意見をズバズバ言ってます。こう言う第三者でこそ、怒れる感情にストッパーをかけれることだってあるかもしれない。少なくとも今の自分はそう信じてます。

    返信
  2. yusuke
    2006年6月10日

    コメントありがとう。
    もちろん、俺らにもできることがあると思っているわけで、だからこそ二年間も単位と睡眠時間を犠牲にして色々やってきたわけなんだし、これからも何らかの形で関わっていけたらと思っている。
     
    すごく卑近な例になってしまうけど、実際にイスラエル人・パレスチナ人たちと会議やってきて、参加者の一部(本当にごく一部だけど)が日本人の女の子ナンパばっかりしてたり、実は観光目的だったり、彼らの全てが自分の人生をかけてまで、現状をなんとかしようと思っているわけではないという当たり前のことに気付いた。現状は「悲惨」なだけではないなと。普通の人間が生きている。
     
    俺は「お前ら平和になれよ」ということはできない。だから「対話したいと思っているなら、協力するよ。そしてテレビや新聞などの露出を通して日本社会に伝えることで、世界の1人でも多くの人が、この地域の紛争を知り何かアクションを起こすように俺らは協力する。」としかいえない。
     
    だから、イスラエル・パレスチナのどちらが正しいとか言う資格は俺にはないと思っている。もちろん考えてはいるけど。
    ISMの活動はイスラエル人がやるから意義があるのだと思う。そしてあの場所で生きて自殺爆撃の恐怖に怯えて暮らしていたり、ユダヤ人として迫害の歴史を背負ってたりして、その上で「パレスチナ人と共存します」という、非暴力の意思表明には共感する。すごいことだと思う。でも俺はイスラエルの占領政策を心の底から批判することは、できない。
     
    俺はイスラエル人・パレスチナ人と共同生活を合計二ヶ月近くしてきて、彼らのように意思表明をする資格を自分に感じなかった。彼らから見た俺は、常に第三者でしかありえない。
     
     
    俺はイスラエル・パレスチナの現状に対して、東京に生きる俺らが何もできないとは言ってないよ。
    だとしたら、俺は今までこんなことやってない。二年間無給であの地域のために、生活をかけてきたつもりだから。あの地域に対する思い入れは、少なくとも学生レベルでは他の誰よりも強いんじゃないかなと思う。
     
    でも現地に生きていないなりのやり方をしたいなと思う。第三者としてできることをしたい。
    それが一応それなりにあの地域には関わってきた上で出した、今のところの考え。

    返信

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です