ネパールで下院が復活し、再び民主主義の風が流れ始めている。
見覚えのある風景を新聞で発見するたびに、あの場所に生きる友人たちを思い出す。
一年前に某国際学生会議で知り合った友人、ナラヤンとは、この春ネパールで再会した。
「タイにしろ、日本にしろ、国王が尊敬される国は、国王が民主主義を尊重している。でもこの国の王は最悪だ。」「私達の国に民主主義はない。」
彼の家で彼の妹さんが作った料理をご馳走になっている時、彼は言った。
彼は国際NGOで働く非常に優秀な男なのだが、私のために一日半仕事を休み、興味を持っていたネパールの少女売買を防ぐためのNGO(http://www.maitinepal.org/)にコンタクトを取ってくれたり、カトマンズ市内を案内したりしてくれた。そんな優しく温和な男なのだが、ネパールの政治情勢が話題になると真剣な顔で語りかけてくれたのを思い出す。
確かに、私がインド・ネパール国境を越えたとき、なんともいえない緊張感に包まれていた。インドであったバックパッカー曰く、私がネパールに入る三日前まで移動禁止令みたいなものが出ていたらしい。
実際私の乗ったバスも、30分に一回ほど国王の傘下にある軍隊の検問があり、肩から銃を提げた兵士達がバスに乗り込み乗客の顔を見渡していた。チェックポイントの前では時にバスの渋滞が発生し乗客を苛立たせていた。パレスチナの光景に似ていた。
でも、私にとってネパールでの思い出はそんなに「厳しい」ものばかりではない。
ナラヤンと昼飯を一緒に食っている時に、言われた言葉がある。
「ゆうすけ、お前は分かっているとは思うが、お前の成功とは、お前だけの成功を意味しないんだ。お前が生きる社会、世界を成功に導いてこそ、お前の成功が存在するんだ。」
ネパールで会った人々はナラヤンも含めて、皆商売などで成功すると農村部に学校やトイレを作ったりして、自分の生きる社会を良くしていこうと一生懸命だった。
ネパールに「民主主義」はなくても、「市民社会」はあるのだなと思い、羨ましく感じた。
またトレッキングの途中で見たネパールの田園風景は美しかった。
"Kathomands is not Nepal."
ナラヤンと共にNGO案内をしてくれた友人の言葉を聞いて、田園風景を見てみたいなと思った。
カトマンズもそれほど近代化された都市ではなかったが、それでも30年後にはバンコクやコルカタのような街になっていくことが想像できた。
ナラヤンの友人が旅行代理店をやっているということで、トレッキングのアレンジを頼んだ。
旅行代理店には無理を言って、「観光客がほとんどいない所」と「絶景が見られる所」を案内してくれるように頼んだ。後で日本人バックパッカーからトレッキングの相場を聞いて分かったことだが、相場の三分の一ぐらいの値段でやってくれたみたいだ。ナラヤンに感謝した。
ネパール滞在4日目の早朝、カトマンズからバスで一時間ぐらい行ったところにある山道からトレッキングを開始した。棚田の風景もそこで出会う人々の笑顔も美しかった。
人々の笑顔は、バングラデシュともカンボジアとも何ら変わりはなかった。ゆっくりと流れる円環時間に包まれながら、日々を生きていた。青空を眺めながら、この先にバングラデシュがあってカンボジアがあって日本があって全ては繋がっているんだな、と月並みなことを考えた。
パレスチナにしろネパールにしろ暴力や政治闘争ばかり話題になるけれども、そこに生きる人たちの緩やかな生の営みを私は忘れたくない。
そんなことを考えながら、いつもより多く写真を撮った。