「何がしたいか」ではなく、「何ができるか」

ルーマニアにいた時、自分の無力さに気付いて、全てが虚しくなった。
幼児的全能感を打ち砕かれるのが、僕の場合、少し遅すぎたのかもしれない。
 
「世界からみれば、「僕」という存在に意味などない。」
そんな当たり前の事実を認めるには、少々時間がかかりすぎた。
いや、そもそもその「世界」の意味を過剰に捉えすぎていたのだ。
そんなこと、ニーチェさんが100年も昔に説いているのに。
 
 
だから、「何がしたいか」だけではなく「何ができるか」を問い続けようと思う。
たとえ世界それ自体には何の意味もなくとも、世界は美しくて、そこにかけがえのない一瞬があるということにもっと感謝したいと思う。
 
そこから少しずつ、自分なりの世界への関わり方が見つけられたらいい。
 
 
 
そんなわけで就活を始めた。
僕は来年夏に大学を卒業予定なので、秋入社ができるいくつかの外資にエントリーシートを出した。
本格的な就活は来年だけれども、とりあえず今は自分の可能性を試したいと思う。
 
ビジネスを勉強して、先進国・途上国が共に高めあえるようなソーシャルベンチャーに関わりたい。
文章や写真、映像を通じて、世界が多様で美しいことを表現したい。
 
これから一年は自分に何ができるのかを、真摯に問い続けたいと考えている。
 
そういえば、1月21日、写真展&カフェ@表参道やります。
詳細は今度書きますが、皆さん来週の日曜日は1時間でもいいので予定空けておいて下さいね。 

2 Comments

  1. Juri
    2007年1月16日

    社会人9ヶ月の身からいうと、
    社会に出るというのは、自分が「何をできるか」ではなく
    「自分ができないこと、知らないことがいかに多いか」を知ることのような気がする。
     
    もちろん専門的な知識や技術、いわゆる社会人としてのマナーや常識。
    世の中にはいろいろな仕事があり、いろいろな人がいるということ。
    いろんな人と、いろんな事と折り合いをつけなければいけないということ。
    それから自分の弱さや強さ。
     
     
    写真展、行くので詳細教えてね。

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  2. yusuke
    2007年1月16日

    「自分ができないこと、知らないこと」の多さを感じた時、結局諦めるしかないのかなと思っています。
    これだけ、生きている社会が島宇宙化しているのだからそれはしょうがないのかなと。
     
    自分のできることを自分のできる枠内で頑張ろうと思うことで、うつから立ち直りました。
    社会人になったら、その辺どう感じるのでしょうか?写真展の時、ゆっくり聞かせてください。

    返信

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