「諦念」としての愛国心

バングラデシュ滞在の後半では、ルマさんのお兄さんに再会した。
「国境や民族なんて、なくなってしまえばいいのに」
春会った時にいわれたセリフを、僕はずっと覚えていた。
 
 
その日、彼との会話が深夜までに及ぶと、「もう寝たほうがいいかな?」と気を使ってくれ、後輩たち(女性)がシャワーを浴び終わるとドライヤーを持ってきてくれた。その気遣いは「バングラデシュ人」にはないものだった。
もちろん彼の見た目はどこから見てもベンガル人だ。それに日本語のアクセントも完璧ではない。
 
人生の半分をバングラデシュで、残り半分を出稼ぎ労働者として日本で過した彼は、「日本人」にも「バングラデシュ人」にもなりきれないのだと僕は思う。
「ニューヨークみたいなコスモポリタンな街に移住したいな。」
彼はふと言った。
ビザの関係で、失った日本人妻の墓参りにもいけない彼にとって、「国籍」なんてものは単なる足かせにしかならないのかもしれない。
 
 
 
「世界で自分の国を愛さない人はいない。」
 
僕はこの言葉が大嫌いだった。
僕は、バングラデシュでも、ルーマニアでも、国家になじめず、アイデンティティに悩む人たちに会った。
 
世界は「自分の国を愛せない人だらけ」だった。
世界は多様で美しいのだから、色々な人がいて当たり前なのだと思う。
だから、僕はそういった人たちへの思いやりをわすれたくはない。
 
 
翻って、自分自身のことに目を移してみる。
 
僕は去年一年間の半分ぐらい海外にいたし、ルーマニアの田舎町に定住もした。
「海外で生活すると、日本が好きになる。」
留学経験者とかからよく聞かれるこの陳腐なセリフの意味を、そこではずっと考えていた。
でも、やっぱり僕はどこにいったって「僕」だった。
 
 
日本にいた時感じた息苦しさは、海外に逃げたってそう簡単に変わらないし、僕の内面的な問題を解決するのは僕自身しかいない。
海外にいたって、「日本」に対して実存を超えた強度を感じることはなく、「日本」は手段であって目的にはなりえなかった。
(逆に言えば、「手段」であることは再確認できた。)
 
東京にいる友人達に会いたいなとは思ったけれども、それはたぶん、もし僕が東北や四国に住むことになったって感じたことだったと思う。

 
つまり僕が実存的な文脈の中で愛しているのも「日本」というよりは、「東京」なのだ。
 
ただわかったのは、僕は米と味噌汁が好きだし、刺身が好きだってことだった。
英語だって使えないわけじゃないけど、日本語の方が書くのも話すのも仕事をするのも楽だってことだった。
 
そう、結論は日本を離れる前から分かっていた。
海外生活で積み重ねたものは、単なる「事実性」だった。
 
僕にとって、「日本で生きる」ということが自発的な選択にはなりえない。
自分自身が生きていくのに都合のいい場所、それが23年間生まれ育っていたこの国だということだけなのだ。
 
 
どうやら僕は、コスモポリタンにも愛国者にもなれないみたいだ。

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