「ICUのリベラルアーツ教育は「個」を確立することを目的としています。「個」というのは1つとして同じものはないということであります。そのような「個」を確立するための訓練は対話を基本にした授業であります。対話では自分の意見をしっかり述べると同時に相手の意見を理解するというプロセスを持続していく事が必要です・・・」
以上は卒業式の式辞で、一番惹かれた部分。
個を重視することと、多様性を重視することは、全く同じことだと僕は思う。
自分の意志を大切にするということは、他人の意志を大切にすることと同じなはずだ。
「自分は自分だし、他人は他人である」ということ。それが、ICUでの生活から学んだことの1つだ。
だから僕はどんなときも、それが他者を傷つけないのならば、自分を曲げたくは無いと思う。
飲み会での一発芸も一気飲みも、僕はしたくない。(高校時代の自分を思い出してしまいつらい)
そんな考えで社会を渡っていくのは難しいのかな。
日本社会から遠いところに居すぎたのかな。
「・・・しかも皆さんは1つとして同じものは無い「個」を持って多様さを誇り、百花が繚乱する将来があり、自己を実現する世界が待っています。
しかし、他方で皆さんを待つ21世紀の皆さんを待つ21世紀世界の現状はどのようなものでしょうか?IT技術のグローバルな進展によって世界の多くの人々の生活が向上していく一方で、中近東の戦争は悲惨さをまし、アフリカ諸国では多くの弱者や子どもたちが病気や貧困に苦しみ・・・・・・・・・・。神様は皆さんがこのように混迷する世界にあっても大きな花を咲かせる事ができるようにその潜在的力を備えてくださいました。大きな花がこのような世界でどのような意味と役割を持つべきでしょうか。この問いの答えは皆さんが自らの生き方の中で求めていくべきものであります。」 (同じく卒業式の式辞より)
僕はブログに何度も書いているように、高校時代は義理の母との確執からいつも夜の街を彷徨って、自分の居場所を求めていた。
あの頃仲の悪かった暴走族の連中も実は社会の構造の中でもがいていて、自分の居場所を僕と同じように求めていたということが今なら分かる。
だから僕は、今の自分が「社会の上層」にいることを分かっているし、そういう力があるのならばそれを何かのために役立てたいと思っている。
そういった物事に僕は自分のミッションを感じるし、そうであるからこそ所謂「大学デビュー」的なものを、大学入学した頃は特に嫌悪していた。
それは、今の僕が過去の自分の全否定から始まっているからであるし、また僕の幼さやナイーブさからくるものだとも、分かっているのだけれど。
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ある友人に言われました。
「僕は安田君みたいなタイプの人を結構知っているけど、みんな半年もしないうちに会社を辞めたよ。」
働くからには3年は頑張りたい。かなり悩んでいます。
7月半ばには日本を出てしまうのですが、それまで時間のある人は話に付き合ってください。
2008年7月2日
間違った認識に基づく 多様性とか相対性 ってあると思う。
「あなたはあなた私は私、意見の違いはスルーしましょう」みたいな
割とこういう人は多い気がする。これ、間違った多様性だよね。
そこを面白くするのってたぶん干渉することだと思う。ミクロに考えると。
個人個人で干渉してって多様性つくってって、って作業。
自分でつくってくって考えると大変だけどやりがいがある気がする。
だからどこにいてもいいんじゃないかな。日本社会でもバングラでも。
2008年7月2日
俵の言うところの、「あなたはあなた、私は私。意見の違いはスルーしましょう」的な悪い意味での個人主義ってのはICUでも多い気がする。
別にこれはICUだけに限らず現代社会全般的に多いと思うが。
卒業式の式辞で述べられた、良い意味での「個」の重視と多様性は必要だけれども、ICU生が前述の「個人主義」との違いをちゃんと理解してくれている事を願っています。
そういや、7月は6,7,11日休みだよ。俵と一緒に遊びに来い。
2008年7月2日
>shuhei, tawara
M教授が前に言っていたのだけれども、それは「自立」と「自律」の違いだね。
互いの意見を聞き、その中で相手と自己を尊重しあうのが「自律」、ということらしい。
意見の違いをスルーするなら、多様性を受け容れることにはならないからね。
でもICU生はどんなくだらないことでも議論しあう傾向がある気がして、それはやはり「自律」の表れなんじゃないかなと思ったり。
7も11も空いているよ。
俵君はどうかな?後でメールします。
2008年7月3日
あ、基。7日は仕事だった。