外資コンサルには断りを入れた。
そして某マスコミからは正式に内定を頂いた。
最近、心の底からやりたいことがない。
年月が過ぎれば過ぎるほど、本当にやりたいことは三年前の夏にやってしまったという思いが強くなる。
イスラエル人とパレスチナ人と一ヶ月間、共に暮らしたこと、けんかばかりしていた人間たちが最後に大泣きして別れたこと、そしてそういう舞台を一緒に創り上げた後輩に恵まれたこと、そういうものが全て重なったかけがえのない経験だった。地位、名声、金、そういたったものを無化してくれる貴重な経験だった。
しかし逆にそれ以降、自分が何に感動できるのか、何がしたいのか、何に熱くなれるのか、そういった類のことが見えづらくなってしまった。
マズロー先生の言うとおり、欲求には際限がないということなのかもしれない。
以下就職に関する悩み。
何度も書いてきたので、「また繰り返しか」と思われるかもしれないが、独り言を書き連ねてみる。
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悩んでいるのは、商社にもメディアにも強い興味を持っていないからだと思う。
商社に魅力を感じるのは、途上国にいけるという点だけだ。日本企業の体質は最も向かないだろうし、ビジネスにも興味が薄い。ただそれでもビジネスに関わりたいと思うのは、それが社会において「支配的な言語」だという直感があるから。その支配的な言語を身につけておくことで、今後の行動が「表出」ではなく「表現」となる気がしている。(それは学生時代に嫌というほど、ダサいNGOを見てきたからかもしれない。)
しかし、学生時代の後半、二つの会社でビジネスに関わった経験上、ビジネスそれ自体に「意味」を感じられる人間ではないことが分かっている。
そして僕の最も大きな問題は、「興味のないことができない」ことだと自覚している。(中学校ぐらいから、学校にも行けなくなったぐらいだ。)
だから、商社でやっていける自信はない。一年持つか不安だ。
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NH○に惹かれていないのにはいくつか理由があって、NH○が創るようなドキュメンタリーには興味が湧かないということ、ドキュメンタリーを一生の仕事にしたいとは思っていないこと、客体としてではなく主体として対象に関わりたいと思っていること、現状のメディアを魅力的に思っていないことなどが挙げられる。
僕が創りたいのは、NHK的な情報を「伝達」するのではなくて、「表現」すること。それが公共放送の枠組みでできるかと言われれば、難しい。
「中東にはこんな問題がありますよ」、と偉い教授や外交官のインタビューを交えて教えてくれるようなドキュメンタリーを見るたびに、「本で読んだ方が早い」と思い、僕はテレビを消してしまう。だからそんな番組を作りたいとは思わない。
(とはいえ僕は、まだバングラデシュで何も創れてはいないのだから、偉そうなことがいえないのだけれど。)
三年前の夏の経験、小さな自分が世界の大きな問題に一生懸命アプローチして何かを変えようと思ったこと、そしてほんの小さな部分だけれども何かが変わったということ(後輩たち、イスラエル人・パレスチナ人含めて)、そういう風に何かに「主体」として関わりたいという気持ちが、今の僕には大きいような気がしている。
だから「客体」として対象に関わるにつれて、いずれは「主体」に行きたいという気持ちが強くなってくることは分かりきっている。
ずっとドキュメンタリーの世界にいることは、僕には無理だと思っている。
そして、ある事件や社会問題を「問題だ」と叫んだところで、多くの人にとっては日々の生活の方が大事で、叫ぶ人たちが思っているほど一般の人々は関心を示していないと僕は思っている。
今学期とった授業で、週替わりで新聞記者やテレビ記者が講演してくれる授業があったのだが、多くの人が自分の仕事の社会的価値を信じて疑っていなかった。僕は非常に尊敬しているメディアの大先輩がいるので、その影響もあってメディアには一定の憧れがあったのだけれども、もうメディアはいいかなと思った。
特に、普通の人たちがどんなことを考えて生きているのか、鈍感だったことが不満だった。少なくとも、多くの人は国際欄なんて飛ばすし、特ダネなんて興味はない。それが分かっていない。メディアの意見が社会を(良い方向に)動かすことがどこまであるのか、真摯に問うたことはなさそうだった。
(第一、大手新聞社の管理部門は派遣社員で成り立っているのに、「派遣労働反対」なんていう資格があるのか?)
既存メディアはもう「支配的な言語」ではなくなってしまっている気がする。
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「主体」として対象に関わりながらも、長いスパンで映像や文章を発表していけるのだとしたら、それが一番いいと思っている。
「主体」でいることで、「支配的な言語」を身につけることで、見えてくる世界があると思うからだ。
今はネットもあるし、映像・写真機材も安くなった。誰もが発信者になれるのだから、それを利用して色々やってみるのも悪くないと思っている。
とりあえず、今週は色々な人に相談に乗ってもらう予定です。
僕は7月前半からしばらく日本をエグゾダスするので、時間のある方には会っておきたいです。
ほとんど話したことがない人と話して、考えを広めたいと思っている。
2008年6月16日
お久しぶりです、nagiです。お元気ですか?近々、お会いしませんか?
2008年6月16日
>なぎさん
ぜひぜひ。
6月中は日本で暇人にしているので、ミクシにでもメールください!!
2008年6月16日
いつも読ませてもらってます。
メディアにいた経験から、記者に対して感じた違和感があるのなら、
メディアに属するとその違和感はもっと大きくなると思います。
忙しすぎてそれを考える暇がなる可能性や個人的に楽しくて忘れてしまう
可能性はあるけれど、その違和感を持って長く続けるのは難しいと思います。
長期的にやりたいことは決まっているようなので、商社かエンタープライズで迷っているのであれば、
そのやりたいことをどちらのルートで進んでいくのかを5年をめどに考えてみるといいのではないでしょうか。
どちらを選んでも5年続ければそれなりのスキルがつき、次の道を進めると思います。
2社にこだわらずに迷っているのであれば、4月1日までまだまだ時間はあるので、まだ迷っていいと思います。
大手よりも社長の顔の見える会社のほうが合っているような気もします。ちなみに私自身も後者のほうがあっていました。
では。
2008年6月17日
非常に的確なコメント、ありがとうございます。
ドキュメンタリーには関心が高いからこそ、違和感が強くなりそうです。そして一生やっていくのは厳しいでしょう。
一方ビジネスへの関心は高くはないものの、そこにコミットすることで新たな世界が開けるのではないかと思っています。ある意味で、違和感を感じることは少ないかもしれません。始めから理想もないですから。
商社にしても大手の総合商社ですし、NH○エンタープライズにしても大手の制作会社なので、顔の見えるような会社ではないですね。後者の方が人数は少ないですが。
スキルという点では、エンタープライズの場合二つの点で疑問があり、それは1.創りたいのはテレビドキュメンタリーというより、ドキュメンタリー映画、2.五年後に他業種に移りづらい産業、というものです。
一方で商社の場合は配属リスクがあり、経理、人事などに配属された場合、途上国に関われなくなるかもしれません。
メディアにいらっしゃったということでしたが、メディアを辞められた経緯等を教えていただければ幸いです。
的確なご意見、ありがとうございました。