何にも捉われたくなかった。
家を出て寮に入ることを決意した小学生の時も、私立の中学を辞めることを決断した時も、底辺校から難関大学を目指した時も、世界の色々な場所で活動していた時も、常に頭の中にあったことは「自由」であることだった。
場所にも組織にも言語にも、何にも縛られたくなかった。
今日は某商社の内定者懇親会に行ってきた。
尊敬すべき同僚、先輩たち、この会社なら楽しいだろうなと思えた。
けれども、この違和感はなんだろう。
「一流大学から一流企業へ」、そんなレールに乗ってしまうことが怖い。
今までレールなんて無視していたはずなのに、今更乗っかるのか?
その時々の問題意識に応じて、場所を選ばず自由に生きていきたかった。
だから国連とか、起業に憧れた。
自分の力で自由に社会を渡っていくような存在になりたかった。
けれども、他の全てを無価値にしてしまうような物事が、今の僕の前にない。
イスパレをやっていた頃のように夢中になるものが目の前にあるなら、そのまま起業することも考えるけれども。
だから僕にとって今回の就職は一種のモラトリアムなのかもしれない。
でもモラトリアムなら某外資コンサルに行ったほうがいいのでは?
4,5年修行して起業する、某外資コンサルならピッタリの仕事じゃないかと。
頭の中がぐるぐる回る。
懇親会で人事の方に本音を話した。
僕は4、5年後には会社を辞めて起業するかもしれませんと。
某外資コンサルの方が起業には適している気がして迷っていますと。
人事の方々はいやな顔一つせずに、起業志向の社員を紹介してくださるとのことだった。
T大を二年休学して起業したけれど失敗して、ビジネスを学びなおすために商社に入りなおした社員の方がいるとのことだった。
懐の広い会社だなと思った。
少なくとも、ここに入っても後悔はしないだろうなと思った。
2008年5月13日
>「一流大学から一流企業へ」、そんなレールに乗ってしまうことが怖い。
これは俺もすごく悩んだよ。
内定をもらってからというより、就活中にだったけど。
でも、最終的には気にしないことにした。
自分はここで働きたいんだし、ここでやりたいことがあるのだから、
周囲がなんと言おうと、どう評価しようと気にしない、と思うようになった。
君が人事の人に素直な気持ちを言ったのは、とても良いことだったと思うよ。
まあただ、自分の場合は「院進学→専門職」が既定の「レール」だったので、
一般企業に就職すること自体、ある意味ではレールから外れることだったんだけどね。
そして、自分が「レール」に乗っかることに慣れてる(=レールの上を走るのが自分にとって自然である)ことを知っていたから、
あえてそれを避けたかったというのもあったかな。
それがちょっと君とは違うかも。
でも、「レール」を意識してたのは同じかな。
長々と失礼。