北京マフィアとの格闘

学生時代を通じて、のべにしたら40カ国以上を廻ってきたけれども、日記をほとんどつけてはいなかった。
よくバックパッカーにありがちな、「俺はこの国のことを分かっています」的な態度が僕は好きではない。
けれども、今回は昨夏に北京で経験したことを書こうと思う。実はこの夏、再び中国に行くことになったので(雲南省だが)。
 
 
 
去年の夏にバングラデシュに行ったとき、途中北京とタイに立ち寄った。
どんな国でも「繁華街」と呼ばれているところには、おもしろいものが転がっているものなので、北京に到着すると「地球の歩き方」を片手に繁華街をうろうろした。
 
早速、一人の中年女性が近づいてきた。
「○△×○△×・・・・」
北京にいるときは、だいたい中国人に勘違いされていた。(日本ではイラン系に勘違いされることが多いのだが・・・)
 
怪訝そうな顔をすると、片言の英語に変わった。
「マッサージはどうですか?50元(800円)だよ。」
 
立ち止まって話を聞いてみる。
どうやら、この近くらしい。
 
「50元なんてカンボジアじゃあるまいし・・・」
怪しいことは分かっている。ぼったくりだ。
「とりあえず見るだけなら問題がないだろう。」
北京の闇を見てみたい。
「いや、でも今回は一人だ。危なすぎる・・・」
カンボジアでその手の宿に潜入したときは、友人三人とだった。
バングラデシュの娼婦街でも、慣れるまでは現地のNGOスタッフと行動していた。
「今までもそうやって飛び込んできたから、色々なものが見れたのだろう。」
 
お金の管理など最大限リスクをヘッジした上で、着いて行くことにした。
ちょうどこの頃、バングラデシュのセックスワーカーをテーマにした卒論を書きはじめていたため、その手のネタには関心が高かった。
 
 
 
「タクシーで行こう」
というポン引き女性の言葉を無視して、僕は歩いた。
場所が分からなくなるとまずいという判断だ。
50元という値段からして、ぼったくりであることは分かっていた。
(それでも好奇心には勝てなかった)
 
少し大きくなったお腹を押さえながら、ポン引きは「子どもがいるから歩くのがつらい。タクシーを使おうよ。」と言った。
「子どもをお腹に抱えながら、何でこんな仕事をしているのかな」と想像力が勝手に働いた。
僕はこの手の話に弱い。
 
それでも無視して20分歩いた。
アパート群の中に佇む小さな家の前に着くと、彼女は「ここだ」と指をさした。
 
 
  
中に入ると、カラオケボックスのような部屋に案内された。
女性がたくさんやってきて、この中から選べといわれた。
適当に目の前にいた人を指さすと、「英語が使えるから」という理由でその隣の女性もついてきた。
インタビューをするのにちょうどいいと思った。
 
席につくと、フルーツの盛り合わせが運ばれてくる。
直感的に「これは、まずい」と分かった。
 
「このフルーツはいくらだ?」
と、英語が分かる女性に聞いた。
「カラオケをしよう。」
女性は答える。女性の英語が下手すぎて聞き取るのがやっとだ。
「だから、いくらだ?」
「別室でマッサージをするか?」
返答が返ってくる。
「このフルーツはいくらなんだ?」
「あなたの仕事は?」
 
こんなやり取りが続くこと、約5分。
「もう俺は帰る。」
「○△×□!!」
相手が興奮しているのは分かったが、英語が下手すぎて聞き取れない。
席を立ち出口に向かうと、身長2メートル近くの屈強な三人の男たちが前に立ちはだかった。
北京語らしき言語で何かを叫び、胸ぐらを掴んできた。
 
この辺りで「これはまずい」と本気で気づいた。
まず1000円だした。
「○△×□!!!!」
胸ぐらを掴む手が、一層力んだ。
 
そこで、ポケットに用意してあった1000円札を17枚渡した。0の部分を隠しながら。
「17万円払うから、許してください」と。
男たちの満足そうな顔を確認すると、すぐに僕は走り出した。
パレスチナで経験したイスラエル軍のゴム弾や催涙弾よりも怖かった。
 
 
 
それから、「北京なんかでオリンピックを開催しちゃいけない」と、似非右翼みたいなことを考えるようになった。
そしてこれを境に、僕は無謀な旅をやめた。
17000円の対価として学んだことは、それぐらいだった。

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