バングラデシュにいたときは、毎日忙しすぎてブログを全然更新できなかったので、時間のあるうちにあの時考えていたことを書いておこうと思う。
5月に秋葉原の事件が起きたとき、東浩紀や宮台真司が主張していたことが僕にはずっとひっかかっていた。
議論を要約すれば、「格差があることは問題ではない。格差が格差として固定されていれば、社会は健全に廻る」といった内容だった。
ヨーロッパのように格差が固定化されていれば問題はない。けれども、日本は「みんながホリエモンになれる」と思い込める社会だから問題なのである。そのような社会においては、「勝ち組」「負け組み」といった意識レベルの差が確実に生まれてくる。
バングラデシュのストリートチルドレンや娼婦の子どもたちが、ホワイトカラーの仕事につきたいと夢見ることはないのだと思う。ほとんどの場合、リキシャ引きや路上の物売り程度にしかなることはできない。
そのことは、東や宮台らの議論の文脈で考えれば、「幸せ」なことなのかもしれないと思う一方で、そんな社会は悲しすぎるとも思う。
とにかく今はよく分からないことだらけだ。早くベンガル語を覚えたい。