基本的に社会は断絶している

 僕は知らない社会のことを、知ったかぶって書くのは好きではないけれども、今回の大統領選でよく言われていたヒラリー支持層とトランプ支持層の「社会の断絶」について少し思うことがあった。
 多くの日本人がアメリカ社会の断絶について驚いていたが、別にこれはアメリカに限った話ではないと僕は思っている。日本、そしてどの国でも、社会は基本的に断絶している。
 
 日本で言えば、士農工商の時代では身分によって見えてる世界は確実に違っただろうし、明治以降になっても地域によって方言もかなり異なったからお互いの世界は違っただろう。
 戦後一時的に日本は「一億総中流」という時代を迎えるけれども、その時代だって山谷に日雇い労働者が溢れていた。(今よりも稼げる日雇い仕事があったものの)
 20年ぐらい前になると「島宇宙」という言葉が現代社会の評論によく登場したし*1、10年前、僕が大学生の頃は、赤木智弘氏の「丸山真男を引っ叩きたい、31歳フリーター。希望は戦争」という論考が話題となった。*2
 
 *1「島宇宙」とは宮台真司氏が提唱した概念で、多くの人が従う広い価値観が薄れて、共同体の中だけで通用する狭い価値観に基づいて人々が行動する様子を指す。
 *2 就職氷河期のせいで31歳フリーターという状況にあった赤木氏は、戦争によって社会が流動化することを若者が望むのは当然だと書いた。これに対してリベラル系の政治学者・社会学者たちが様々な反論を試みたが、端から見ていてどれも説得力のある反論ではなかった。
 
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 都心から2時間弱の準地方都市にある偏差値40台の高校から上京してきた僕にとって、ICUでの大学生活は驚きの連続だった。
 例えば高校の同級生たちの中では、「まずアルバイトで1年お金を貯めてから、大学・専門学校に行く」という選択が当たり前に存在した。けれども、大学に入ってから出会った多くの人たちは、両親が共に実の親で、高校時代まで親からお小遣いをもらい、大学に入っても学費も生活費も親から支援があった。
 大学入学後しばらくの間、まったく違う世界に来たことに慣れないでいたことを今も思い出す。(なんせ入学式で「ナメられないように」と思って、サングラスをかけていたほどである・・・思い出すたびに恥ずかしい記憶だ)

 新卒で入った会社で会ったある人は、今の僕の仕事について、「ひきこもりなんて支援する意味ない。自分の責任だから。」と言った。全て自己責任と捉える発言は、僕の周り(多くはソーシャルビジネスと言われる分野の経営層)では滅多に出てこないが、少しコミュニティを出ると価値観は変わる。

 つまり、今も昔も日本もアメリカも、社会は断絶しているのだ。基本的に社会は断絶しているということを、狭いコミュニティで同じような人たちに囲まれて生活していると忘れがちになる。いや、「狭いコミュニティ」で生活しているということさえ、僕らはなかなか気づかない。

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 基本的に社会は断絶していて、それは変えようがない。それはアメリカや日本だけでもなく、僕の関わってきた様々な途上国でも多かれ少なかれ同じだった。
 だから異なる他者を想像する努力を常に心がけ、書を読み、現場の話を聞かなければならない。それがエリートに求められる「知性」だと思う。
 
 最近もどこかの大学教授が過労で自殺した女性を叩いている様子を見て、異なる他者の背景に思いを寄せる「知性」の難しさを知った。けれども僕はそういう「知性」を持ち続けたいといつも思う。

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