自由について、イスラエルで考えた

3年前日本に呼んだイスラエル人ダニエルとその妹と、エルサレム郊外のこじゃれたバーで飲んでいるとき、ふとダニエルが言った。
「イスラエルは物価高いのに給料安くて生活はキツイけど、日本で生きるより幸せだと思う。」

18歳になったら二年以内に大学に行かなければ「いけない」、大学を卒業したらすぐに働かなければ「いけない」、日本はなんて不自由な社会なのだろうと、彼は言う。
三年前に一ヶ月滞在しただけなのに、よく日本のことを分かっているなと思った。

イスラエル人は20歳で兵役が終わると、5年ぐらいバイトで生活費を稼ぎながら、旅をする。
その後やりたい勉強が見つかれば大学に行き、やりたい仕事が見つかれば働く。
非常に自然で合理的だ。

その自然さや合理性は生活様式にも表れている。
例えば、ショップ店員は客が来ない限り座って本を読んだり、電話をしたりしている。
例えば、ちょっとした会議やワークショップであっても、出席者が別のイスの上に足をのっけてリラックスしながら話すことも珍しくない。
例えば、よほどのことがなければ、オフィスでスーツを着る必要もない。
つまり社会が人間を縛っていないのだ。

そんな会話をしていると、横からダニエルの妹が口を挟んだ。
「日本人は自由が嫌いなの?それとも自由の意味を知らないの?」
僕は、「不自由であることが、居心地がいいこともあるんだよ。」と説明したが、なかなか理解できないようだった。
「ユダヤのreligiousな人たちみたいに思考停止しているのね」と最後に彼女は言った。

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今回の旅では、日本で生きる必然性についてよく考えていた。

顔も日本人顔、得意な言語も日本語、そういったことは変えようがないにしても、僕はこの社会を居心地が悪いと感じてきた。
特に幼い頃はそうだった。中学受験をさせられたとき、なぜ勉強するのかが意味が分からなかった。大学受験もそうだった。なぜいい大学をこぞって目指すのか訳が分からなかった。 就職活動でもそう。全てはレールの上に乗っているのに、それを自分の意志だと皆ごまかす。

先日エルサレムに来ていた村上春樹は、イスラエルの新聞haaretzのインタビューで、このように答えていたらしい。(ある先輩のブログより)
「日本社会は僕を圧迫する、それはとても単一的で狭い社会だ。1億2千万人がまるで一人の人間。僕はそんな中で特殊だった。西側では個性や人格は当然のことであり、格闘する相手ではない」
村上春樹の作品については、特に好きというわけではないのだが、この一言には共感した。

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外国語もある程度理解できるようになり、たぶん僕はどこででも生きていける。
だから、今後この不自由な社会に生き続けるのかどうか、悩みはじめている。

4 Comments

  1. manabu
    2009年2月27日

    だから、私は、日本より、日本人や西洋が「不自由」だと非難するシリアで、そして長期的にはトルコでこの土地に帰属する信仰者として生きることにしました。自分なりに悩みながら、キャリアや活動や趣味や友情を通じて、自分なりの答えを見つけるしかないと思います。一方で、日本にいても、それなりの居場所や人脈や仕事を構築できれば、その問題に対するひとつの答えも出せるとも思いますけど。

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  2. Shunsuke
    2009年2月27日

    確かに安田君が上記で例として挙げているような意味では日本は「不自由」かもしれないけど、その状況って本当に個々人にとって不可避なものなのかな。もちろん人によって条件は違うだろうけれど、やろうと思えば上記で挙げられているぐらいな自由なら簡単に達成可能な気がするんだが、どうだろう。実際俺は今、>>例えば、ちょっとした会議やワークショップであっても、出席者が別のイスの上に足をのっけてリラックスしながら話すことも珍しくない。>>例えば、よほどのことがなければ、オフィスでスーツを着る必要もない。ぐらいなら普通だし、そして満員電車に乗って通勤することもなくて、くだらない付き合いに時間を費やすこともなくて、ほぼ不自由さを感じていないんだよね。(まあ多少経済的な不自由さはあるけれども、週に何回か友人と外食して、読みたい本を10-20冊/m買うぐらいの金には不自由していない)というわけで、日本社会はある種の不自由な状況にあるかもしれないけれど、その不自由さを受容するか拒否するかの選択肢は個々人には十分あると思うんだよね。多くの人は経済的な理由や不安や見栄や世間体を気にしてその選択肢を選べていないだけでさ。日本社会でも自由に生きることは十分可能だと思うんだよね。

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  3. yusuke
    2009年2月27日

    >鬼頭さん僕みたいな非信仰者にとっては、シリアやトルコも住み心地がよくないような気がしますがね笑僕は日本にそれなりの居場所があるので、確かにそこまでその「不自由さ」を感じなくなりましたが、それでも自立した個の集合体としての社会には憧れがあります。居心地がいいですからね。>迫君おっしゃるとおりで、迫君が働く会社ならそれが達成可能だと思う。多くの人間は選び取っていないだけだからね。でもね、人間は社会全体へのコミットメントも求められるわけで・・・例えば子育てとか?子どもをこの社会で育てたいか、と考えると首ひねらざるをえない。迫君も幼い頃、社会のレールに乗り切れなかったように、ある種の人間にこの社会は生きづらい。選び取らなければ、自由や個性は認められないから。選び取るまでに、時間と労力を必要とする。僕や迫君のような思考法が当たり前である社会というのは、やはり生きやすいよ。だって今の迫君も、その生き方を自分で「選び取らなければ」、いけなかったわけだから。迷ったじゃん、そこまでいくのに。でもイスラエル(を含め西洋社会)では「自由」「個性」を選び取らなくても、それが所与のものとして存在しているように、僕には見えるんだよね。

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  4. […] 僕はこれについて、3年前にブログを書いていた。 http://yasudayusuke1005.wordpress.com/2009/02/27/about-freedom/ […]

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