僕が経営するキズキという会社のメイン事業の一つは、「不登校・中退経験者」を対象とした大学受験塾の運営だ。
不登校や中退を経験しながらも、「もう一度やり直したい」と願う若者たちが、僕たちのもとに通っている。
今は必死に頑張っている彼らであっても、相談に来た当初は「人よりも遅れてしまった」「もうやり直せないかもしれない」と悩んでいたことがほとんどだ。
そんなとき、僕はこんな話をする。
「学校がもし合わないなら、無理していく必要はないんだよ」
「不登校・中退でも、高卒認定試験合格して大学・専門学校に進み、楽しく生きている人は沢山いるよ」
こんな話をすると、不登校に悩む子どもたちは、うつむいていた顔を少しだけ上げる。
不登校はクラスに一人か二人しか発生しない。だから彼らは「自分が特別、他人より劣っている」「劣っている自分はもう何をしても無駄だ」と悩む。
けれども、考えてみれば当たり前だが、「学校が合わない」なんてことで、人生が決まるわけがない。学校が合わなければ、別の選択肢を考えればいいだけの話だ。
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今、ネットで炎上している「クラスジャパンプロジェクト」のウェブサイトを見て、とてもショックを受けた。
彼らはこのようなミッションを掲げている。
「日本全国の不登校者全員の教育に取り組み通学していた学校に戻す」
このミッションを、不登校や中退の当事者が見たらどのように思うか?
学校にいけない自分に劣等感を持つ。
大人の勝手な「正論」を押し付けることが、不登校・中退の当事者の「社会復帰」に繋がるのか?
多くの子どもたちは劣等感を強め、ますます自分の殻に閉じこもるだけだ。
日頃から不登校・中退の支援をしている者にとっては自明である。
不登校の方を傷つけるようなメッセージが、メディアに取り上げられていることを、すごく悲しく思った。
精神科医の斉藤環先生もTwitterに
「思春期心性への配慮がまるで感じられないこのプロジェクトに強い戸惑いを禁じえません。」
「これまでの不登校支援をめぐって蓄積されてきた知見を完全に否認するかのようなプロジェクトに賛同する自治体があることが驚き。」
と書いていたが、まさにこのような思想に基づいた支援は、不登校支援にとってマイナスでしかない。
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考えてみれば不思議である。
大人になって「会社を辞めたい」「仕事を変えたい」と思ったとしても、それは社会問題として捉えられることはない。
けれども、子どもが学校に行きたくなかったら、「不登校」として社会問題化される。
だから不登校はスティグマとなり、「自分は他の同級生よりも劣っている」というコンプレックスに繋がる。そして、不登校の子どもたちの「やり直し」を阻む。「劣っている自分は、何をやっても無駄だ」と悩めば悩むほど、社会復帰は難しくなるからだ。
「日本全国の不登校者全員の教育に取り組み通学していた学校に戻す」
こんなミッションを当事者が目にしたら、「学校に戻れない自分はダメだ」と子どもたちは意味なく自分を責める。それは彼らの「社会復帰」を考えた時に全く逆効果だ。
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公立学校に通う場合、多くは地域によって通う学校が決まる。そこに選択の自由はない。
選択の自由がない中で、その学校に合うか合わないかは、「運」のようなものだ。
学校制度とは誰かが百数十年前に創り出した制度である。だから当然合わない子どももいる。
だから、合わなければ逃げ出して良い。逃げてもいくらでも道はある。
大人が伝えるべきは、「様々な道」の存在であって、「学校しかない」という価値観の押し付けではないはずだ。