夏のガザの思い出

少し前のことだけれども、昨年と同様、この8月はパレスチナ・ガザでのビジネスコンテストに参加した。
大学時代の先輩が立ち上げたガザの女性起業家を対象としたビジネスコンテスト「ガザビジ」。
その2回目がこの8月開催されたのだ。

パレスチナ・西岸地区には7回ぐらい訪れているけれども、ガザ訪問は昨年に引き続き2回目。
国連からのサポートなどがない限り、普通の旅行者は入ることができない場所。このビジネスコンテストのおかげで、去年も今年もガザに来ることができた。

******
ガザの街を歩くと、ひと昔前のバングラデシュのように、多くの人たちの注目を浴びる。
「どこから来たのか?」
「何をしに来たのか?」
たくさんの言葉を投げかけられる。

水やコーラを買いに商店に入れば、なかなかお金を払わせてくれない。
「君はゲストだ。何でも好きなものを持っていってくれ」と彼らは言う。

紛争のイメージしかない場所だけれども、
イスラエルとの戦闘さえなければ、牧歌的で温かい人々と、美しい海とシーフードがある、そんな魅力的な街だ。

ガザ到着初日、今年3月に日本に招致したアマルに街を案内してもらった。
(ビジネスコンテストの優勝者は、日本に来ることができるため)

彼女は昨年と比べて、英語が流暢になっていた。

「初めてガザの外に出て、ちゃんと英語を使う機会があって、英語で人に伝えることの重要性を知ったわ。」
日本からの帰国後、映画を英語字幕で何度も見て単語や表現を増やした、と。

ガザはイスラエルによって封鎖されているため、なかなか外に出ることができない。そんな監獄の中で25年間生まれ育った若者が、ガザの外に「たった1週間」出るだけで、これだけ成長できるのだと知った。
世界における機会の不平等が、優秀な若者の可能性を潰していることを、知った。


(イスラエルからガザに抜けるチェックポイントの様子)

その翌日、実際のビジネスコンテストが始まった。まずは1次選考。
僕は審査員ではなかったものの、どんなビジネスプランが出てくるのか楽しみにしていた。
しかし実際には、あまりにプレゼンテーションのレベルが低く、戸惑った。論理的に説明する力、審査基準を想像する力など、すべてが欠けていた・・・

「これでは、審査以前の段階だ・・・」
そのため、その日のプログラム終了後、僕は1チーム1チームを周り、「人に伝わるプレゼンテーションとは何か」レクチャーして回った。

僕のアドバイスに対して、必死でメモを取る彼らの姿に手応えを感じながらも、
「翌日の最終選考で、良いチームを選べるのだろうか・・・」
不安が募った。

そして翌日、最終選考。1次プレゼンを突破したチームのプレゼンを再度聞いた。
すると、どのチームもスライドをほぼ全て作り直していた。たった一晩の間で、10枚以上のスライドのほとんどを修正したのだ。しかも彼らの母国語ではない英語で。
多分、ほぼ徹夜だったのではないかと思う。

一番熱心にスライド修正に取り組んだチームは、「廃材から家具を作る」ビジネスプランを持っていたチームだった。彼女らの最終プレゼンは素晴らしいものだったけれども、残念ながら彼女らは2位に終わり、優勝することはできなかった。優勝者には日本への招待と賞金が提供されるが、それ以外のチームに特典はない。

けれども、彼女たちは僕に、とびっきりの笑顔で話しかけてくれた。
「優勝できなかったから、私たちは日本にも行けないし、お金ももらえない。でもこのコンテストに参加して、本当に良かった。今まで知らなかったビジネスのことを、たくさん知ったわ。」

実は、僕は起業家・経営者でありながらも、ビジネスそれ自体にはあまり価値を感じていない。便利な社会がより便利になったところで、人間の幸福はそれほど変わらないと思っているから。

けれども、ガザでの起業支援は「普通のビジネス支援」とは決定的に異なる。
若年者失業率60%という仕事がないという絶望を希望に変えることができる。そして、我々外国人の支援によって「世界から見捨てられている」という悲しみも希望に変えることができる。

そしてこのビジネスコンテストは、改めて僕自身が今後の人生で何をするべきなのか、考える機会にもなった。
僕はこの社会・世界で圧倒的に不利な立場にある人たちが、尊厳を持って生きられる手助けをしたい。

7年前に中退・不登校の方を対象とした塾を創った時から、ずっと変わっていない思いだった。その思いは、対象が日本であっても海外であっても、同じなのだと思った。

******
まだまだ海外でできることは少ない。
でも人生は長いので、コツコツと積み重ねていくつもりだ。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です