15年前の記憶

川崎市で13歳の少年が殺されてしまった事件は、僕の遠い記憶を呼び覚した。

中3の時に寮を出て祖父母の下で暮らすことになった僕は、地方都市の公立中学に転校した。親もいない、友達もいない、そんな孤独だった僕に話しかけてくれたのは、同じ中学のA君だった。どこに行ってもいつも孤独を感じていた僕は、A君やその友人たちと夜のコンビニにたむろするようになった。

転校して2か月ほど経ったある日、A君が先輩から借りた原付に乗って、隣の中学の女の子たちと遊んでいると(もちろん無免許である・・・)、A君が転んでしまった。幸い大きな事故にはならなかったのだが、問題はA君が後ろに乗せていた女の子がB氏という暴走族メンバーの恋人だったことだ。A君は呼び出されてB氏に殴られ、A君と仲が良かった僕も目をつけられてしまった。

一番苦しかった経験は、家や学校で待ち伏せされるようになったことだった。B氏たちから「来週までに2万円を用意するように」と「カンパ」(=上納金のようなもの)の支払いを要求されたにも関わらず、僕が拒否したためだった。

近所は必ずサングラスをかけて帽子を被って行動するようにしていたが、見つかった時にはボコボコに殴られ顔が腫れたこともあった。(僕はケンカが弱い)

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15年も昔のことなので記憶はだいぶ薄れてしまったのだけれども、今でも鮮明におぼえていることがある。

地元の海の近くでB氏のグループに偶然鉢合わせして数人に囲まれてリンチにあったことがあった。偶然通りかかった警察のおかげで彼らは退散したのだけれども、その後で警察と話す機会があった。

「彼らも大変なんだ。例えばあいつは、小学校の時に親が蒸発して、今は妹と二人で暮らしている。土方の仕事で妹の生活費も稼いでいるんだ。」

僕も彼も社会の弱者同士だと知った。弱者同士でケンカして苦しめ合っている現状をバカバカしいと思うようになった。なんて不条理なんだろうと思った。
その時から、僕は少しずつ大学受験を考え始めた。近所では徹底的に変装をして、この問題から逃げ切ることを決めた。

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僕のケースは特殊なものではなく、地方都市のヤンキーコミュニティではよくある話だと思う。
そして今の僕が、ヤンキーコミュニティの中で苦しんでいる方にアドバイスできることがあるとすれば、「徹底的に逃げ切れ」ということだ。

僕は2年間の猛勉強を経てICUに入った時に、地元のコミュニティから抜けだして東京に出ると、新たな世界が広がっていた。(授業初日は周りに舐められないように、サングラスで大学に行ったことは、今となっては恥ずかしい思い出である)

少年時代に見えている世界はとても狭くて、そこから逃げるとどこにも居場所がないような気がしていたけれども、実は世界はもっと広かったのだ。

1 Comment

  1. wooyoungsoo
    2015年3月17日

    Dreamers High でリブログ.

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