異なる価値観の中で生きるために。

20代前半の多くの時間をイスラム教国で過ごした僕は、保守的なムスリムから「イスラム教を信じないお前はダメだ」と言われることがよくあった。残念ながら、日本でイスラム教とは無縁に育った僕にとって、響かない言葉だった。(ほとんどのムスリムは僕の価値観を尊重してくれたが)

同様に、某フランスの事件でも、「フランス人が表現の自由をどれだけ大事しているのか」という話をよく聞いた。けれども残念ながら、それも全く異なる価値観を持つ人たちには届かないのだと思う。フランスの文化で育った人以外に、フランスの価値観は響きづらい。
(僕自身も、保守的なムスリムからの言葉に腹が立ったのと同様に、フランス人からの3.11の風刺画には腹が立った)

「人を馬鹿にする風刺画は表現の自由だ」と主張するフランス人もいれば、「雪だるまは反イスラムかどうか?」を真面目に議論しているムスリムもいる。
フランス人にも「表現の自由」という守りたいものがあるのと同様に、保守的なムスリムにも「イスラム教」という守りたいものがあるのだ。

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先週は連日、講演とインタビューが続いていたのだけれども、「若者の支援において何が大事ですか?」とよく聞かれた。その時にパッと頭に浮かんだのは、「自分の価値観を押し付けないこと」だった。

人は往々にして「自分の価値観」を「社会の常識」として、他者に押し付けてしまうけれども、そこから生まれるのは、絶望か反発しかない。
これについては僕自身も苦しんできたので、一年前のブログに書いた

上記のブログに書いたように、僕自身は大企業の価値観が合わず、自分の存在に絶望して鬱病で1年以上も寝込んでしまった。けれども、結局価値観は変えられなかった。
色々な人に、「お前の考え方は甘えだ」「そんな甘えた奴に起業が成功するわけがない」と言われたが、そのような言葉は僕をますます絶望させるだけに終わった。

若者の支援においても、一人ひとりの価値観をできる限り大事にしながら、どのように社会で自立して生きていくかを考えることが大事だと思っている。かつての僕が必要としていた支援だ。

他の人にとっては取るに足らない価値観であってもできる限り尊重すること、その上で一人ひとりが自立する道を探す手伝いをすることが、支援者の重要な役割だ。

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