弊社のインターン生のうち3名が就活を始めた。
やっぱり彼らの将来は気になるので、ちょくちょく就活生の情報を集めてしまう。
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僕が就活をした頃も、今も変わらず、「優秀」な大学生が大手企業を目指し、「最も優秀」な大学生が外銀や外コンを目指す。多くの場合、それはきっと、「承認」をめぐる戦いなのだと思う(その気持ちはよくわかるし、それを批判するつもりは全くないのだけれど)。
「優秀」だと言われて育ってきた人ほど、そのラベルが消えるのがきっと怖い。
そのラベルが外れることに、慣れていないから。 そして、そのラベルによって「承認」を勝ち得てきたから。
でも優秀な大学、優秀な会社、成功して金持ち、になったとしても、多くの場合、その承認は「何があっても崩れないもの」ではない。
だから、他者との関係の中で試行錯誤しながら認められて、そのことで「何があっても自分は自分だ」という「尊厳」を手に入れた方が、人は幸せになれる気がする。
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世界中どこにいたって、人は「承認」を求めて彷徨っていた。
パレスチナの若者たちは、「世界がパレスチナを見捨てている」と嘆き、農村から得られてきたバングラデシュのセックスワーカーは、「自分には生きている価値がない」と悩み苦しんでいた。そして僕も。
僕自身、生まれ育った環境のせいで、常にその戦いの中にいた。いつも承認を求めて彷徨っていた。大学受験を目指したのも、不特定多数からの承認を求めていたからだと思う。
「もう大丈夫だ」と思えたのは、大学に入った後でイスラエル・パレスチナやバングラデシュで出会った友人たちのおかげだった。何があっても自分は自分だと思えるようになった。自分自身を認めてくれる存在に出会えた。
試行錯誤しても承認してくれる存在があり、そのことで尊厳が担保される。だから、また試行錯誤できる。
僕は今、その循環の中にいる。
実際僕は、商社にいた頃より、零細NPOの理事長の今の方が100倍ぐらい幸せだ。
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月曜は、某D社でのMTGの後、 スタッフ6人で銀座まで歩き、丸の内でイルミネーションを見て、帰った。
「神なき時代を生きるのはつらいよね」とか、「電車の窓から見える一人ひとりの物語について」とか、青臭い話をしながら。
あの頃すごく嫌いだったオフィス街の風景が、今は全く違ったもののように見えた。