何度かこのブログにも書いているけれども、20代前半は「正しさ」について迷い続けた時間だった。
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大学1年生~2年生にかけて、僕は学生NGOの代表をしていた。
現地では対話の機会が少ないイスラエル人・パレスチナ人12名を日本に招致し、一ヶ月間合宿を開催した。
http://www.jipsc.org/
活動は広がりを見せ、外務省のパンフレットで「イスラエル・パレスチナ間の信頼醸成に向けた支援」として紹介されるまでに至った。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/pr/pub/pamph/chuto_wahei.htm
でも、僕は迷っていた。
本人たちがどこまで平和を望んでいるのか?ということが分からなくなってしまったからだ。
残念ながら国際社会の世論なしに、パレスチナの状況が有利になることはない。イスラエルとは圧倒的な力の差があるからだ。
国際世論を味方につけるためには、パレスチナ人が一部過激派による自殺爆撃やミサイルを止めさせなければならない。イスラエルからの介入を正当化させてしまうからだ。
けれども多くのパレスチナ人は「我々は抑圧されているから、自殺爆撃・ミサイルは仕方ない」と反応する。これでは、外部の人間がいくらサポートしても、平和が訪れない。
そんな中で、日本人は何をすべきなのか?「自殺爆撃やめろよ」という資格が外部者にあるのか?僕は分からなかった。
そもそもイスラエル人・パレスチナ人は非常に優秀だった。彼らにできなくて自分たちにできることがあるのか、悩んだ。
ちょうど大学二年の終わり に講演した九州大学で、ルーマニアでの研究職の話をもらった。
すぐに大学を休学し、僕はパレスチナ問題から離れた。
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ルーマニアから逃げるようにして帰国した後、僕の関心はバングラデシュに向かった。
初めてバングラデシュを訪れたのは、ユヌス氏がノーベル平和賞を受賞する前だった。
並行して、創業間もないマザーハウスで働くこととなった(ここでベンチャー経営について学べたことが、今の自分の財産となっている)
非営利組織経営でよく問題視される「収益基盤の脆弱さ」は、大学時代前半自分でNGOを経営してみてよく分かっていた。
だからこそマイクロクレディット、ひいてはソーシャルビジネスの概念は、「持続可能性を担保する」という意味で社会を変えうると思った。
貧困の中をあえぐ「かわいそう」な人々を継続的に支援するには、ビジネスの概念を取り込むことが必要だと考えた。
けれども、僕はバングラデシュの人々の豊かさを徐々に知るようになる。
バングラデシュの友人たちは、「発展は必要だが、インドのように人間としての豊かさを失いたくない」とよく語っていた。
家族・友人を大切にするバングラデシュの美点を維持しながらも発展するために、どうしたらいいのか真剣に考えていた。
確かに、冷蔵庫がない、洗濯機がない、そういった文脈において彼らは貧しい。
毎日カレーしか食べないという点で、栄養の偏りもあるだろう。
ただ、それが人の「幸せ」と直結しないことを、僕は知った。
(参照)
http://ow.ly/5TY9F
http://ow.ly/5TYbp
そんな彼らに魅せられて、 僕はカタコトながらも現地語を覚え、2006年から2009年にかけて、1-2ヶ月の滞在を8回も繰り返すようになった。娼婦街での映画製作は、多くのバングラデシュの友人の協力によって行われたものだった。
マイクロクレディットの評判が芳しくないことは何度かブログにも書いたが、それどころか「開発」そのものの正しささえ分からなくなってしまった。本当に必要なものは何なのか、分からなくなった。
(参照)
http://yasudayusuke1005.wordpress.com/2008/10/25/%E5%A4%96%E9%83%A8%E8%80%85%E3%81%AE%E8%A6%96%E7%82%B9%E3%80%81%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%92%E5%B7%A1%E3%82%8B%E8%A8%80%E8%AA%AC/
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未だに、「何が正しいのか」という問いは僕の頭から消えない。
現時点での一つの自分なりの回答は「最も不遇な立場の人の利益が最大化される社会」こそが正しい、というものだ。
ロールズに近い。(実はよくわかっていないけど笑)
「娼婦街の女性たちの支援をすること」には今でも意義を感じる。社会から完全に阻害された人々だからだ。
ただ、農村で生まれ育った若者がエリートになるための教育が必要なのか、僕はまだ答えを持っていない。
そのまま農民を続けていても、それなりに幸せなんじゃないかと思うからだ。ニーズとウォンツの差かもしれない。
同じように、高校中退者の受験支援には意義を感じる。現実的に、中卒では仕事がほとんどないからだ。
ただ、「詰め込み教育ではなく、創造力を高める教育を」という話になると、僕はまだ答えを持っていない。
自分の少ない人生経験では、どのような教育が必要か答えが出ないからだ。
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「正しさ」に対する深い考察なんてなくたって、「正しい」事業ができるのかもしれない。
でも、僕はずっとこの問いを繰り返しながら事業を続けていくのだと思う。