地震後、「なにかできることはないか」という思いが書かれたTwitterのタイムラインを見て、イスラエル・パレスチナ、ルーマニア、バングラデシュでの生活を思い出していた。あの頃の僕は、自分にできることを探して、でも見つからず、結局日本での就職を選んだ。
途上国での生活はそれなりに楽しかったし、たくさんの美しい思い出を僕にくれた。それでも、たぶんあのままの生活を続けていたら、どこかで「閉塞感」に襲われてしまうような気がしていた。だからNGOや国際機関への就職、大学院への進学、などの進路を選ばなかった。
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バングラデシュ人は優秀だった。彼らにできなくて、日本人にできることが、ほとんど見つからなかった。少なくとも農業や医療など特定のスキルのない僕は、なにもできないように思えた。
当時考えていた僕でも「唯一できること」が、「ビジネス」だった。日本の「カネ」を使って何かできることがあればと考えた。だから一度は総合商社で働く決意をした。
しかし、バングラデシュでの生活が長引くにつれて、ビジネスが人を幸せにするとは、全面的には思えなくなった。むしろ、それによって排除されてしまう存在に目が行くようになった。
それでも、どのような仕事を行うにせよ、グローバル経済を見ておくことも重要だと思っていた。だから「ビジネス」への疑問を胸にしまいながらも、サラリーマン生活を選んだ。
しかし、日本の総合商社で、そのような「グローバル経済」を見るには10年弱の我慢が必要だということが入社して初めてわかった。下働きの時間が長すぎることを知った・・・
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そこで、とりあえず自分の関心のあるテーマで起業をした。今のところはその事業で飯を何とか食えている。
同時に、途上国での生活の中で最も興味のあった「メンタルケア」で大学に戻ろうと準備も始めた。「社会から排除された者」に必要なことはメンタル面での支援だと思うようになったからだ。
始めは臨床心理学の修士にいこうと考えていたが、医学部に入りなおすことも検討している。
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災害があった時、ひいては社会の中で困った人がいたときに、直接助けることのできるスキルには憧れる。今回の地震を見ていて、改めてそう思った。