他者について

この半年間は色々な変化があって、自己と他者について、よく考えていた。
思い通りにならない他者がいてこそ世界は美しい、なんて言葉は聞き飽きたけど、それでも僕はそう思いたい。
つらいことばかりだったけれども、気づいたことはそれ以上にあったはずだから。
 
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大学時代ぐらいまで「努力」さえあれば、すべて他者は全て自分のコントロールできる存在だと思っていた。
(自分で言うのもなんだが)高校までは顔さえよければモテたし、大学に入っても気に入った女性とは何らかの関係になっていた。
 
イスラエル・パレスチナでも(学生レベルでは)活躍できたし、ルーマニアで働くチャンスも得た。バングラデシュの日々も、なんだかんだで充実していた。
いつのまにか語学も、学問も、人並み以上になっていた。就職活動も余裕だった。 
18歳まで夜の街を彷徨っていたけれども、そんなdisadvantageは努力ですべて解決できた。
全てはコントロール可能なものだと、頭のどこかで思っていた。 
 
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亡くなった友人をしのぶ会で、ある人が言っていた。
「結婚する前は「自分」が何をできるか・何をするかばかり考えていたけれども、今は「自分」という点から「家族」という輪に関係性が広がった。「家族」のために何ができるか・何をするか考えるようになった」と。
 
これまで僕は、大切な何かができるという経験をしてこなかった。そしてそれが大切だと気づいたときにはいつも遅かった。ルーマニアでも、バングラデシュでも、いつも。 
幼い頃から一人だったからかもしれないが、(たとえば生命保険の受取人を両親にするような社会人一年目のように)、大切な何かがある人を羨ましいと思う。
 
僕はずっと一人だと思い込んできたから。自分にしか関心がなかった。
 
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この半年間は、本当につらかった。
仕事がうまくいかなくなって、でも自分の弱さを認められるようになって・・・そういう過程の中で、僕は自分の人生(=他者)が思い通りに行かないことを受け容れることにした。
 
恋人を失って、恩人を失って、でも多くの人に支えられていることが分かって・・・もっともっと温かい気持ちで、人を受け容れながら、誰かを大切に感謝しながら、生きていきたい。そんな気がしている。
他者がいなければ僕は自意識の中だけで生きることになるし、他者はいつ消えてしまうか分からない存在だから。
 
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昨日、26歳になりました。
ほんの少しだけ、大人になりました。きっと焦る必要はないんだよね。

2 Comments

  1. Shuhei
    2009年10月6日

    誰かのために何が出来るか。この境地に未だ至れない。自分が何を出来るか、自分が何をするか。どうしても先に来ちゃよね。「もっともっと温かい気持ちで、人を受け容れながら、誰かを大切に感謝しながら、生きていきたい」。本当にそう思う。「他者がいなければ僕は自意識の中だけで生きることになるし、他者はいつ消えてしまうか分からない存在だから」。本当に痛感させられました。陳腐だけど、人っていつも失ってからその人の大事さに気づくよ。後悔は先に立たないと分かっていても、同じことを繰り返す。愚かな人間から抜け出したい。

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  2. yusuke
    2009年10月14日

    もう同じことを繰り返すのはやめよう。今度、宇都宮また遊びにいくよ。

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