バングラデシュで映画制作を継続している後輩が、言っていた。
「ここでは、頑張らなくちゃいけない何かがない」と。
ホームステイ先のおじさんは、朝9時半頃のんびりおきて、10時半ごろ会社に行ったと思ったら、12時には昼飯を食べに家に戻る。1時頃に会社に行くけれども、4時には必ず帰ってくる・・・
もちろんバングラデシュにだって受験戦争はあるし、医者とエンジニアが最も名声が良いとされているし、そういう面倒な物事は山ほどある。
でも、自分と誰かを比較したり、周りの目を気にして無理な努力をしたり、そういったことが日本よりは少ないような気がする。
だからこそ、いつまでも「発展」しないのかもしれないのだろうけれども。
先週滞在していたタイも同様だ。
タイに留学していた知人たちが皆口を揃えていうのが、「あの国はゆるすぎて、住んでいると駄目になる」という話だ。
一年ぐらい前に「日本を降りる若者たち」という本を読んだ。日本でお金を貯めて、年間の半分をタイで過ごす若者たち(通称「外ごもり」)について書かれた本なのだが、その中で印象に残っているエピソードがある。
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ある日、タイで働く日本人男性が妻(タイ人)に相談せず仕事を辞めた。しかし妻はそのことを咎めることもなく、「実家に帰ろう」と男性を誘ったという。
その後、彼女の実家の農家で、彼らは何もせずに一年半過ごしたが、その間彼女の両親に「農作業を手伝え」とも言われなかった。
「金がなければ何もできず、仕事がなければ人ではないような日本社会を思うと、タイの田舎の懐は暖かった」と。
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お金がなくても働ける者が働き、助け合いながらのんびりと生きる社会の存在を、僕は世界で知った。
そして日本社会は、人に夢を押し付ける一方で、自由に夢を持つことを許さない社会だと、僕は思うようになった。
学校でも就職活動でも「夢=美徳」とする一方で、社会はいい学校、いい会社に行くことも美徳だとする。そこから外れたところにあるかもしれない「人の可能性」を信じない。
つまり、夢を持たずに「頑張らない」という選択肢はない。その上、「何」に向かって頑張るのかは社会が決める。
「日本社会は僕を圧迫する、それはとても単一的で狭い社会だ。1億2千万人がまるで一人の人間。僕はそんな中で特殊だった。西側では個性や人格は当然のことであり、格闘する相手ではない」
村上春樹がHaaretzのインタビューの中で答えていたことが、最近よく分かる。
人は生きたいように、生きればいいのに。