承認について

バングラデシュの娼婦街に初めて長期滞在したとき、一番仲良くなった女性であるSは、「私たちのことを忘れないで。また来て欲しい。」と言った。
僕はこの日を境に、3年間バングラデシュに通うことになった。
 
先月行った山谷勉強会の終了時、ホームレスの方々が「是非またやりましょう!」と嬉しそうに声をかけてくれた。
たくさんの人が集まって真剣に議論をして、「忘れた」わけじゃなくて、「知らない」だけなんだって伝えたかった。
 
 
人は誰かに褒められたかったり、愛されたかったり、喜んで欲しかったり、認めて欲しかったり・・・・・・そういうものによって生きているのだと思う。
忘れられてしまうことほど、怖いことはない。
少なくとも僕はそうだった。20歳まで、ずっと一人で生きてきたから。
共に住む人も、住む場所も、二年おきぐらいに変えながら、誰にも期待しないで生きることを覚えた。
 
 
おこがましいかもしれないけれども、バングラデシュの娼婦街に生きる人々の気持ちも、山谷の人々の気持ちも、なんとなく分かる気がしている。
だから、僕は彼らを忘れたくない。映画を作っているのには、そういう意味もある。
 
******
写真アップしました。
 
2008-2009 Asian countries
 
2009 Middle-east

2 Comments

  1. manabu
    2009年5月1日

    >「私たちのことを忘れないで。また来て欲しい。」>忘れられてしまうことほど、怖いことはない。ノルウェーの森のオープニングを思い出しました。ナオコの渡辺君への一番重いメッセージでしたね。これ。でも、今の俺は、人は忘却することができるから、生きていけるんだ、忘却すること、されること、は、主が私たちに与えてくださった御慈悲のひとつなんだろう、と思います。それでも、自分の人生の中で、すっごくすっごく大切で重要だった人たちとのつながりが失われた事実を思い出すと、今でも胸が痛みますね。だから、忘却は、主の恩寵なんだと思います。少なくとも、俺は忘却することで生き延びることができたので。渡辺君が、中年になって初めて、ナオコのストーリを語れるようになったのも、忘却したからこそ、語ることができるようになったわけだし、そして、渡辺君はそのストーリーを少しずつ忘却しながら、忘却されるストーリーを抱えることによって、生き延びるんだと思う。

    返信
  2. yusuke
    2009年5月2日

    >鬼頭さん僕もそう思いました。忘却するからこそ人は生きていけるのであり、忘却こそが人生を美しくするのだと。

    返信

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です