イスラエル・パレスチナに顔を出していた頃、結局は「政策の問題」だと感じていた。
例えば、イスラエルがグリーンライン上に壁を作れば、今あるかなりの問題が解決されるだろう。
けれども政策はなかなか変わらない。
NPOやNGOは頑張っていても、市民社会を動かすまでには行かない。
最近は日本の貧困に関心があり、NPOなどに顔を出している。
(明日も某NPOにてワーキングプア・ホームレスの相談ボランティアをやる予定だ)
先日、そのNPOに顔を出したときに、代表の方が印象的なことを言っていた。
「自分たちができることは生活保護申請支援や生活相談といったことだけで、やっぱり政策が変わらなければ何も変わらない。」
あれほど市民団体が派遣労働の問題について叫んできたのに、長らく状況は変わらなかったことを思い出す。
それが秋葉原事件で人が死ぬと一転して、政府は動き出した。
市民社会が無意味だとは全く思わないが、無力さを感じた。
僕は学生時代にNGOを始めとした「市民社会」に関心を持ち、これからは商社という「経済社会」で活動することとなる。
社会科学において社会とは「政治」「経済」「市民」という三つのセクターで構成されると言われるが、最終的には「政治」に関わりたいなぁと最近考えている。
政策というトップダウン的な問題解決に、魅力を感じ始めている。