明日は卒業式

ということが信じられない。   楽しかった時間が終わってしまうのが怖い。 いつかは越えなければいけない壁だということは、分かっているのだけれども。   四年後ぐらいに会社を辞めるとして、その時もこんな気持ちになれるのかな。 こんな時間を何度もすごせたなら、人生は本当に素敵なのに。...

ICU祭カフェ計画

ICUの皆さん(特にMゼミの皆さん)、ICU祭でカフェできそうです。 月曜日(卒業式・・・)辺りに、話を聞いてきます。 協力してくれる人、募集中です。     以下転送   さて、企画参加受付の件ですが、旧D館211学生会室にお越しいただければ、受付致します。ただし本館ですと、受付期間中の申し込みでほとんど埋まってしまっており、小教室がわずかに残るのみです。もしそれでもよろしければ、ぜひお申し込みください。先着順で受付しておりますので、その際はお早めにお越しください。...

成長、発展という強迫

「近代性とはとりつかれたような前進ーつねにもっと欲しいから、ではなく、けっして充分に得ることができないから。もっと大きな志や冒険心を育てるから、ではなく、その冒険が苦くその大志が実現を阻まれているから。前進は続かなければならない。なぜなら、たどり就いたどんな場所も一時の停留所にすぎないから」(バウマン)     バウマンのこの言葉は、個人の生き方として考えたときも、ある社会の時の流れとして考えたときも、示唆に富んでいると思う。 「農家の子は農家」ではなく、「キャリアを考える」時代へ。 BRICS、VISTA、発展を目指す途上国。目指せ日本、アメリカ、ヨーロッパ。 「前進」という近代性が持つ脅迫...

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支配的なパラダイム

僕は小さい頃から、いじめられてばかりだった。   キノコ頭に寝癖がついていて、運動神経も極度に鈍くて、机の中にはいつも腐った給食の残りのパンが入っているような、僕はそんな小学生だった。 友達とどこかに行くにも自転車をこぐのが下手すぎて、一人遅れているような子どもだった。 そんなのだから、小学校三年生ぐらいのときクラスで無視されるようになり、僕と会話をしたら「ごめんなさい」と謝らなければいけないというルールが作られ、僕は学校に行けなくなった。 幸いにも担任の先生が解決してくれたため僕は再び学校に行けるようになったが、それから計算とサッカーの二つだけは負けないように努力した。 その二つができれば、...

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旅行計画

7月からは地に足を下ろして何かを頑張りたいと思っていた。 だからバングラデシュで語学学校に通いたいと思っていたし、10月からはフィリピンで4ヶ月ほど働く予定である。 しかし、8月の後半には友人の結婚式がイスラエルであるため、それに合わせて中東→アフリカに行きたいと考えもいるし、まだ見ぬ中南米も卒業までには行きたいと考えている。   日本・バングラデシュの往復のチケットが約10万 バングラデシュ・ヨルダンの往復チケットが約10万 エジプト・スーダン(アフリカの中でもスーダンに興味があった)の往復チケットが約5万 それにプラスして生活費がかかる。   フィリピンでの仕事が終われば、中南米に行きたい...

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ICU

今月の卒業がほぼ確定しました。 単位は無事、取れたようです。  (そして7月からはバングラデシュで語学学校に通い、10月からはフィリピンで数ヶ月働きます。)     四月に入ってから、週に一度は大学の同級生と会うようになった。 彼らの多くは三月に卒業したんだけれども、「卒業してからICUという環境のありがたさを分かった」と、皆口々にいう。   大学の同級生たちとは、専攻も興味対象も全く違ったとしても、どこかで分かり合えるが不思議だなと思う。 大学受験の時に、早稲田や慶応や上智ではなくて、あえてICUを選ぶあたりが、自我の強さというか、「他人は他人、自分は自分」というICU生らしさを作っているの...

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やりたいこと

外資コンサルには断りを入れた。 そして某マスコミからは正式に内定を頂いた。     最近、心の底からやりたいことがない。 年月が過ぎれば過ぎるほど、本当にやりたいことは三年前の夏にやってしまったという思いが強くなる。 イスラエル人とパレスチナ人と一ヶ月間、共に暮らしたこと、けんかばかりしていた人間たちが最後に大泣きして別れたこと、そしてそういう舞台を一緒に創り上げた後輩に恵まれたこと、そういうものが全て重なったかけがえのない経験だった。地位、名声、金、そういたったものを無化してくれる貴重な経験だった。   しかし逆にそれ以降、自分が何に感動できるのか、何がしたいのか、何に熱くなれるのか、そうい...

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主体と構造

卒業論文にも書いたが、主体と構造のせめぎ合いの中で世界は創られていると僕は考えている。   ある主体の行為の原因の一部は構造にあり、構造の原因の一部は主体の行為にあり、そしてそのせめぎ合いと偶発性(バングラデシュの娼婦たちの場合は、結婚、妊娠によるself-esteemの回復)が私たちの周りの社会を創っているのではないか。 ギデンズの言葉を借りれば、「私たち一人一人の人間はその行為を通じて社会的世界を創るのと同時に、その社会によっても私たち自身が作り直されていく」ということだ。       仮にそのようにして世界が成り立っているとすれば、行為のどこまでを主体に帰することができるのだろうか。  ...

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マスコミ

「庶民と感覚がかけ離れている」 と、マスコミは官僚を叩く。   でもちょっと待って欲しい。 彼らのほとんどが一流大学を出て国家一種試験を通った人間たちだ。 それなりの待遇が必要でしょう。   官僚になる人間は皆基本的に優秀なので、就活をしてもそれなりの会社に内定をもらっている。 外資金融フロントなら二年目で年収1000万は越えるし、コンサル・大手商社だって30歳前には1000万超える。 でも官僚になってしまったら、40歳手前ぐらいか。(それでも「天下り」がある頃は、割りにあったと思うが) いつだったか、「東洋経済」で我がICUが、「卒業生の平均給与全大学トップ」であったのを見て首をかしげたが、...

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現状に対する悲観的、かつ肯定的な認識

僕の仲の良い人間たちの間で、会えば必ずといっていい程出る言葉が、「意味と強度」だ。 このブログを読んでいる人の半分以上は知っていると思うし、それぐらい宮台真司が悩める僕らの世代に与えた影響は大きかったように思う。 まぁ僕の周りが異常なだけかもしれないが。   *******   これから書くことは、一部の人を除いては全く意味不明のことだと思う。 ただ、この一年ぐらい自分で考えていたことをまとめたいと思い、他者の言語ではなく、自分の言語で書いてみる。   *******   僕はこの二年間、過去の楽しかった思い出にすがって生きてきた。 それは特にイスラエル人・パレスチナ人と過ごした夏の思い出であ...

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