学生時代、色々とNGOと関わってきたけれども、その多くが「力なきものが力なきものを助けている」ように見えた。
市民社会が未熟な日本社会では、NGOは資金集めに活動の大半を割かなければならない。欧米のように、自発的に市民が資金を提供することはない。
二年半前、九州大学で講演をした時のことだった。
「日本の学生のほとんどは、社会の問題なんて興味ないですよ。だから、社会問題に関わる人々はどのように一般の人々を巻き込んでいくのか考えるのが大切だ」と私が話した時、
「じゃあ、学生たちは何に興味があるんだ?」と驚いた顔をして、学者たちは僕に聞いてきた。
普段大学の教壇に立ち偉そうなことを語りながら、何も見ていないのだ。
(もちろん、この学会に参加していた学者の一部ではあるが)
そして、その年末ある日本の大手NGOの講演会に行ったときも、辟易する出来事があった。
プレゼン用のパワーポイントが画面の端で切れていて、何が書いてあるのか分からなかったのだ。
講演会をやる前に、プレゼン資料の確認さえしなかったらしい。
そのことを恥じる様子もない彼らを見て、「これじゃ何も変わらない」と思った。
僕には、世界の諸問題にアプローチしている人間たちが、能力的にも金銭的にも「力あるもの」であるようには見えなかった。
世界を変革しようと志すのならば、誰よりも自己に厳しくあってほしかった。
(もちろん、皆が彼らのような人ばかりではないけれども。)
イスラエル・パレスチナやバングラデシュの人々に触れてから、僕は世界を全身で感じるようになった。
よく本をたくさん読んでその知識を元に知ったかぶる人がいるけれども、僕はそういう人に魅力を感じない。
実際に生きている人たちのことを思うと、「失礼だ」とさえ感じる。
僕にとって、彼らは本やテレビの中だけの人ではないから、知ったつもりになって何かを語りたいとは思わない。
「知ることは感じることの、半分も重要ではない。」だ。
心の底から、僕は彼らのことを想う。
だから大学に入ってからの四年間、僕は世界を見てたくさん考えて、自分にできる限りのことはやってきた。
けれども今と同じことをずっとやっていても、何も変わらないと思うようにもなった。
今欲しいのは、「力」。
就職活動をして、一度別の世界を見るのも悪くないんじゃないかと考えている。
たとえば、マイクロファイナンス・インターナショナルというヒスパニック移民向け銀行をアメリカに作った枋迫さんのように、自分の思いを20年以上暖めて、形にした人もいる。http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20061030/112688/
焦ることはない。今は、自分が正しいと思う道を行く。
でも、僕がこれからどんな場所に行ったとしても、イスラエル・パレスチナやバングラデシュに生きる友人たちのことを忘れることは絶対無い。
別れ際に涙を流し再会を誓い合ったイスラエル人・パレスチナ人の学生たち、社会から排除されながらも自分の子どもを育てるために必死にもがくバングラデシュの娼婦たち。
僕は、たくさんのものを受け取った。
生きることの喜びや悲しみ、世界が多様で美しいことを教えてくれた人々のことを、もう忘れることはできない。
あの場所で懸命に生きる人々のために何かがしたい、その思いは大学受験を志したときよりもずっと強くなっている。
彼らは、すぐそこにいる存在なんだ。
だから、いつかは必ず。
2008年2月10日
後半部分のパワーが、安田君にとって必要なこと、よくわかります。でもね、前半部分に関して、>僕には、世界の諸問題にアプローチしている人間たちが、能力的にも金銭的にも「力あるもの」であるようには見えなかった。Powerってそんなに必要なものなんでしょうか。開発関係の用語で、一番うさんくさいと思う単語。Empowered。
2008年2月10日
無記名のつもりはなかったのだけれど。上のコメントは私からです。
2008年2月10日
本当に社会を変えたいと思うなら、必要だと思う。
開発でいう、empowermentとは、全く別の文脈で。
普通に生きるうえで、みんなが「社会を変えたい」なんて思っていたら、そんなのは気持ち悪い社会だと思う。
でも、非営利組織とか、平和とかを語る学者たちって、皆そういう使命感をもって生きているわけじゃん?逆に言えば、社会を良くすることで給料をもらっているわけでしょ?
そういう人たちが、自分たちの狭い世界に閉じこもって、能力を高めていかないのは、おかしいと思う。
(もちろん、全ての人たちじゃないけどね)
2008年2月13日
<<世界を変革しようと志すのならば、誰よりも自己に厳しくあってほしかった。全く同意見。俺が前書いた日記で、安田君とよこたんと議論になった日記があったけど、あれも同じような気持ちで書いた。社会に対してコミットメントをすることを志すものこそ、とことん自己に厳しく、自己批判を忘れないような存在であってほしいんだよね。「国際協力」とか「地域貢献」とかを掲げているからって、事業の性質について批判されずにすむなんてことは全く持っておかしいと思うんだよね。逆に、普通の企業よりも厳しくあるべきだと思う。現状を容認して仲間内で慰めあっているのは見るに耐えない。(もちろん全てがそういう人たちなわけではないけど)
2008年2月13日
>shun
そうだね。
そういう志と力を兼ね備えた人たちが、社会のうねりを創りだすのだと俺は思っている。
2008年2月15日
お久しぶりです。
私も同じような事を考えてるし、何より安田君の2年前のJ*CAでの報告会のパワポの素晴らしさは鮮明に覚えています(笑)
お互いまだまだ成長途上でしょうか。私は都市計画の分野でプロを目指せたら、いつか国際協力に戻ってこれたら、と思っています。
perseverance! 自己に厳しくというか、必要なのはProfessionalismじゃないでしょうか。
専門性を持つのが難しい分野かもですが、プロと誇れるようになれたら幸いです。
枋迫さんお会いしたいなあ。NYCから近いような。。
Hope everything goes well for ya! C U again!