僕はいつも、自分より頭の回転が早い人を見ると悔しくて、自分より語学ができる人を見ても悔しかった。自分より「優秀」な人たちに会うと、悔しくてしょうがなかった。今となって考えてみると、早慶ではなくICUに行ったのも、東大とのヒエラルキーから自由な気がしたからかもしれない。
MHで働いた後に思ったのは、「できる」の基準なんて曖昧だってことだった。
仮に、「できる」と定義を頭の回転の速さ、発想の豊かさと定義するならば、自分がMHの人たちに劣っていると感じたことはなかった。
けれども、仕事に対する真摯な姿勢とか、人を受け容れる温かさとか、そういったものを持つ人たちに僕は惹かれた。
柔らかさの中に鋭さがある人に惹かれた。鋭いだけの人には魅力を感じなかった。
人を測る尺度なんていくらでもあるわけで、「勝ち負け」じゃないと分かったことが、この一年の大きな収穫かもしれない。
自分なりの価値を社会に発揮していきたいと素直に思えるようになった。
この社会・世界の中で自分は何がしたくて何をすべきなのか、問い続けられるようなことがしたいし、二年前から変わることがない「ありたい自分」の姿に誠実でいたい。結局自分が大切にしたいことは、そういう種類のことだった。
外資系の金融機関と戦略コンサルの選考が進んでいる。
一般的に、優秀な人=外銀、戦コンで働くイメージがあるわけで、そういう人たちの中で揉まれたいと考えたことが志望のきっかけだった。現にそういった会社は有名大学のかなり限られた人しか入ることができないし、米大学でのMBAホルダーも皆揃って、外資金融・戦コンを目指す。
けれども一番大事なことは、「自分がどうありたいか」だ。今はそれが分かっている。
面接を通して、自分がどの道を進むべきなのか測っている。