帰国した。
取材対象である娼婦街には、結局4日間の滞在となった。
ドキュメンタリーの主人公であるショキには子どもが生まれていた。
彼女は17歳の時、ブローカーに売られて娼婦街にやってきた。「首都ダッカにいい仕事があるから」という言葉を信じて、ブローカーに連れられてきた場所が娼婦街だった。
処女性を重んじるバングラデシュにおいて、一度娼婦になった者は、社会に戻る場所がない。また保守的なバングラデシュにおいて学歴のない女性が、過去を隠して誰も知らない場所に行くことは不可能である。まして父親のいない子どもが生まれた今、社会が彼女を受け入れる余地はない。
イスラム教の指導者たちは言う。「彼女たちは全員殺されるべだ」と。
purityはイスラム社会において絶対の価値を持つ。
ショキはある日言った。「私たちは汚れた存在だ」と。「生きていること自体が罪なのだ」と。
けれども、そこであるひとりの娼婦が反論した。
「私たち一人ひとりは神に創られた存在なのだから、この世界に生きている価値があるはずだ。」
娼婦たちを社会から排除しているものがイスラムなのだとしたら、娼婦たちに力を与えているものもイスラムだった。
ボンナという名前のその娼婦はこの夏、娼婦街を出た。今は、客の一人と結婚をして、夫の住む村にいる。
信頼できる人を見つけること、そして自分自身の価値を信じること。それが、絶望から抜け出す方法なのかもしれない。
そしてショキの家の近くでも、この夏二人の子どもが生まれていた。
母親たちは語った。 「子どもを学校にいかせたい。立派に育ってほしい。そのために私はこの娼婦街をでる」