近況

日本語が打てるネットカフェにきた。 通訳を派遣してもらったり、映像に関してアドバイスをしてもらっている現地のNGOの方と連日ミーティングをし、ドキュメンタリーの方向性を決めている。 だから、今もまだ首都ダッカにおり、ドキュメンタリーの現場であるタンガイル県には向かえていない。   端的に言えば、準備不足である。 今まで4回も撮影をしてきたので、離日前に今回の計画をもっと立てられたはずだった。 ドキュメンタリー製作も半ばを超えたため、シナリオ作りが重要になってくるのだが、それを日本で十分にしてこなかったのである。   そんなわけで、外国人居住区のカフェにこもる日々が続いている。 あと一週間で帰国...

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3月のバングラデシュ 1

 来週から、またバングラデシュに行くことになると思う。もう五回目だ。  三回目、四回目の訪問についてブログでは何も書いていなかったのを、ふと思い出した。つらかったことも、楽しかったことも、たくさんあった。どれも僕にとっては忘れたくない大切な思い出なので、記憶を掘り起こして書いてみることにする。      今年の春は3月1日から4月8日ぐらいまで、僕は日本を離れていた。例年この時期は花粉症を避けるために、海外にいるようにしている。  香港経由のキャセイパシフィックでバングラデシュに着くと、予め連絡をしていた現地の旅行代理店に向かった。この春はどうしても、バングラデシュとカンボジアを再訪したかった...

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独り言

先月24歳になった。 23歳の一年間は、本当につらかった。   23歳になる直前は日本にイスラエル・パレスチナ人を招致して、個人が動くことで社会が変わるんだって確信を持って、その後は新聞やテレビやラジオに出演したり、某学会に招かれて九州まで講演しに行ったりして、人に伝える意義を感じて、23歳になるとルーマニアに行って挫折して、でもそこから帰国してすぐに某NGOに招かれてアメリカに行っていた。   常に自分が前進している実感があって、その先の未来を信じていた。いつも何かを感じて、何かを学んでいた。     23歳の一年間は映画を作ったりはしていたけれども、とくに何かをしていたわけではなかった。小...

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ある授業にて

大学生らしく、大学の授業で思ったことを書こうと思う。   先週ぐらいに、ある授業でフェミニスト某教授がお怒りだった。 事の発端は、ある生徒がコメントシート(出席代わりになる)を人に預けて出したとのこと。 預けられた人が、そのコメントシートに「この人は私にコメントシートを預けていきました」と書いて提出したらしい。   「ICU生がそんなことをするなんて信じたくないが・・・」と説教が始まった。 大学にも、勘違いしている教師がいるのだなと思った。     授業中寝るのも、授業に来ないのも、教師の授業がつまらないからだ。 少なくとも僕は、本を読んだほうが早い授業には、基本的に出ない。 出席なんて取らな...

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