ここ一年以上作り続けているドキュメンタリーの主人公の一人は、オニックというダッカの娼館のスタッフだ。
彼はバングラデシュで高校を卒業後、マレーシア、インドネシア、シンガポール、タイと、海外で出稼ぎを行い、そこで貯めたお金でバングラデシュに自分の店を持った。けれども、一年と経たないうちに、その店は強盗に破壊されてしまった。
「職がない」
バングラデシュにいると、あちらこちらで聞かれる話だが、彼も状況は同じだった。
自分の店を失った彼は娼館のスタッフになった。
初めて会ったのは、去年の秋、僕が二回目にバングラデシュを訪れたときだ。
僕がその年の春に滞在した娼館を訪ねると、彼は新しいスタッフとして働いていた。
なぜか僕らは気が合い、その秋の滞在でも、今年春の滞在でも、たくさんの時間を共有し、お互い色々なことを話した。
「自分自身が恥ずかしくてしょうがないんだ。」
厳格なイスラム教国であるバングラデシュで、娼館のスタッフという仕事は「恥ずべき」仕事だ。
月に一万円程度のお金を得るために、 親戚や友人に内緒で娼館で働いている彼は、「なぜここまで落ちてしまったか」、悩み自問自答し続けている。
「時々神の存在を疑うんだ。」
今年の春にバングラデシュを訪れたとき、僕は彼の実家を訪れた。ダッカからバスで三時間ほどの村に、彼の両親、親戚は住んでいた。80歳近いお母さんの前で無邪気に笑う彼の姿は、どこか微笑ましかった。
「僕はいつか、どんな貧しい人でも通えるような学校を作りたい。僕には兄が二人いて、彼らが両親を養う予定だし、結婚する予定もない。だから、僕は貧しい人たちのために何かがしたいんだ。」
その帰り道、彼は僕に言った。
バングラデシュの人たちはいつも調子ばかりいいのだけれども、その言葉は嘘じゃないなと思った。
生きること、幸せであるということ、豊かであるということ。
答えの出ない再帰的な問いかけかもしれないけれども、 その一部を彼が僕に教えてくれたような気がしている。