ネットサーフィンをしてたら、懐かしいものを見つけた。
ShakiraのHips don’t lieだ。
その頃東欧ではShakiraが大ブームで、ルーマニアでもブルガリアでもマケドニアでも、一日一回はどこかで耳にしていた。
どうにもならない挫折を抱えながら、コソボの夕日の前に立ち尽くしたとき、後ろに流れていたのはこの音だった。
考えてみたら、あれから一年だ。
ちょうど去年のゴールデンウィーク、僕は東欧行きの飛行機の中にいた。
期待なんてものはこれぽっちもなくて、あの時僕の胸を締め付けていたのは、一種の「強迫」だった。
いつも「ここではないどこか」へ行きたかった。
小さい頃から住む場所も共に住む人も変わり続けたし、そうであることに慣れすぎていた。
大学に入ってようやく居心地のよい場所を見つけたけれども、同時に次の場所を探すのに必死だった。
いつもどこかへ逃げたくて、逃げ出して、その先にたどり着いたのがルーマニアの田舎街だった。
けれども、そこに期待した「何か」なんて待っていなくて、分かったことは、これからもずっとそうやって「ここではないどこか」に向かって逃げなきゃいけないということだった。
そしてそれは、僕を絶望の中に叩き込むのに十分だった。
絶望から立ち直るには、途方もない時間を要したし、今もまだその途中だ。
けれども、地球上のどの場所にいても僕が僕なのだとしたら、今を踏みしめながら生きるしかないのかもしれない。