"It is not half so important to know as to feel" (知ることは感じることの半分も重要ではない) -レイチェル・カーソン 「センス・オブ・ワンダー」より 高校生の時ぐらいまで、僕は世界が全て敵だと思っていた。 親も友人もいないようなものだったし、それでいいと思っていた。 でも、18歳の時、テレビや新聞で報道される世界の紛争や貧困を見て、「何かをしなければ」と思った。 不条理な環境で生きてきて、感受性が鋭くなりすぎていた。 最近になって思うのだけれども、あの時の僕は...
...「異常」と「正常」の境界
うつ病の具合はだいぶよくなった。 通院の必要もとりあえずなくなった。 私の通っていた精神科には、いつも変わった人が多かった。 自分の鞄に落書きを続ける女子高生、受付の女性にどうでもいいことを話し続ける若い男性、数えればキリがない。 今までは彼らが「異常」で、「正常」な私と住む世界には境界があると思っていた。 でもちょっとしたことをきっかけに、私も「異常」の仲間入りをした。 「異常」であることを、理解できるようになってしまった。 ようやく気付いたことだけれども、「異常」と「正常」の壁は、すごく薄いのだ。 「異常」な世界に入るために、複雑な手続きはいらない。 犯罪にしたって...
...Today is the greatest day I’ve ever known
バングラデシュの首都ダッカからバスで6時間のタンガイル村を訪れることになったのは、「タヒルさん」とダッカ大学付属の日本語学校で出会ったことが始まりだった。「バングラデシュの田舎に行きたい」と僕が言うと、三日後に彼の故郷を案内してくれることになったのだ。 昼過ぎにタンガイルに着くと、親戚を挙げての歓迎を受け、タヒルさんのお母さんとお姉さんは、食べきれないほどのご馳走を振舞ってくれた。 息子の帰省を泣いて喜び、彼の友人である僕たちの訪問を大歓迎してくれる、彼のご両親や親戚の方々を見て、少しだけ羨ましくなった。 ただその後に待ち受けていたのは、村中に散らばる彼の親戚たちへの挨拶回りであり、そ...
...一年前の夏の成田空港から、変わらないもの
卒業論文では、先進国・途上国が共に活かしあうような開発の形について考察したいと、前日のブログで書いた。 それはひとえに、僕が「彼ら」から受け取ったものが、ものすごく大きかったからだと思う。 僕は幼い頃から、自分と他者や、自分と世界を「隔絶したもの」と捉えていて、だから自分の殻のなかで生きていた。 ずっと誰からも必要とされて生きてはいなかったし、だからこそ他者への優しさに欠けていた。 独りで生きることを、「強さ」と勘違いしていた。 そんな僕が世界と繋がったのは、昨年の夏のことだった。 それは、大学に入ってから徐々に溶かされ始めていた殻が、崩れた瞬間だったように思う。 人の優しさと...
...卒業論文 「新しい開発の形について」
この前大学に入ったと思ったら、もう卒業論文のテーマを決定しなければいけない時期になっていた。 私は2008年6月に卒業予定なのだけれども、卒業論文の指導教官決めが3月卒業の人たちと同じ時期だということを、今週知った。 一ヶ月ぐらい前、周りの三年生たちが卒論で悩んでいるのを見ていたので、さすがに焦った。期限は一ヶ月近く過ぎていた。 慌てて学科の事務室に問い合わせしたところ、「なんとか間に合う」ということだったので、昨日早朝にM准教授にメールを入れたところ、すぐにOKの返事が来た。 私が卒論のテーマとする、「マイクロファイナンスやソーシャルマーケティング」は今後ますます重要な課題となる、と励ま...
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