中東来て一週間がたちました。 到着翌日はイスラエル軍が投げる催涙弾を初体験した。 あれはきつい。目からも鼻からも水があふれ出る。 昨日はジャーナリストのYさんの運転する車で、シリア・レバノン国境付近のドルーズ族の村に連れて行って頂いた。シリア国境を見て少し複雑な気分になったものの、もっぱらの話題はドルーズお姉様方についてだった。レバノン・シリアには、さぞかし美女が多いのだろうと、想像を掻き立てられた。 今日はJICAの方にジェリコの開発に関する会議につれてっていただいた。休憩中は、海抜マイナス300メートルの暑さの中、3月イスラエルが侵攻した刑務所跡を見た。ひどかった。 そんな...
...Declare myself
私はイスラエル・パレスチナに初めて入ったのは、ちょうど二年前。 本や人の受け売りではなく、自分の目で見て頭で考えて、自分の言葉で語ることが、あの経験を経てようやく少しだけできるようになった。 中東問題を一生かけて研究したいと今は思っていないけど、それでも私にとってあそこが大切な場所であることには変わりない。 アザーンの音色や無駄に多い車のクラクション、雲一つない空と砂煙、エルサレム旧市街の混沌、テルアビブの夕日、思い出すと胸が熱くなる。 (ついでにイスラエルの軍服美女と正統派ユダヤ人の揉み上げも) 英語も使えず役に立たないことが明白だった二年前の私を、現地に送り出してく...
...ブカレスト!!!
昨日ブカレストに到着。 はるばる電車で8時間。貧乏という病のため、鈍行列車の二等席を利用。暑く長かった。 ルーマニアは日本とそこまで物価が変わらない(物によるが)ため、生活が本当にきつい。しかし、昨日は奮発して1000円ぐらいでルーマニア家庭料理を食べた。ブカレスト記念だ。 ブカレストは日本並みに暑い。山奥の我が街では、ずっとシャツにジャケットという格好で済ませてきたのだが、ここではTシャツ一枚でも汗が吹き出してくる。 以前JETROのホームページで見つけたブカレストの日本語使用可能なネットカフェに緊急非難だ。 これからインターコンチネンタルホテルで髪をきってくる予定。JICAのホ...
...Maybe we are born to kiss each other, maybe we are born to love each other
二日連続のブログ更新。 先日、同僚に何枚かの写真を見せられた。 どの写真も標識やら旗やらが二つずつあるのだが、そのうち下一方は全て塗りつぶされている。 ルーマニア語標識、ルーマニア国旗だけがあり、ハンガリー語標識、ハンガリー国旗が塗りつぶされているのだ。 これは実際にある村で起こった「いたずら」だ。 私の住むトランシルバニア地方では、歴史的にハンガリーの支配下に長くあったこともあり、ハンガリー人が大多数を占める集落も多い。それが時に、民族対立を生む。 それでも少しずつ共生への試みが続いている。 例えば、私の住む街のベンチは全て赤く塗られている。 それは、赤という色がル...
...「周縁」として生きる
"they lost" 一昨日、パレスチナ人のある友人にメッセで話しかけられたのだが、当初意味が不明だった。 "who are they?" ワールドカップの日本チームのことだった。 4年前、私は一試合を除いて日本戦は全て競技場で見た。準決勝も決勝も競技場で見た。 仙台まで日本対トルコ戦を見に行った時だったと思う。 トルコ側の人間が日本側のファウルで倒れるたびに、隣の女性が騒いでいた。 「死ね!」「消えろ!」 その時から、急に「日本を応援すること」に冷めてしまった。この女性と同じ共同体に属するということに、恥ずかしさを...
...ルーマニアからエグゾダス
四日連続の更新。 ルーマニアから離れられるというのは、正直嬉しい。 今までは「試練」と思って乗り切ってきたけど、それも「日常」となると意義を感じなくなってくる。 未だに街中を歩くとよくからかわれる。先週の火曜日は特に最悪だった。 公園を歩いていたらいきなり私の正面に学生集団がやってきて、大笑いし始めた。殴ろうと思ったけど、「「平和」研究所職員が暴行で逮捕」とかルーマニアの新聞で報じられたらシャレにならないだろうと思って、歯をくいしばって無視した。 唯一のアジアからの友人だった台湾人の女の子も最悪だった。 彼女はアイセックで働いているのだが、そのイベントがシビウという街であるので行こ...
...前日のブログについて
今日は休日なのだが、研究所が空いていたので来てしまった。 三日連続のブログ更新。 前回、東京に平和に暮らす若者がイスラエル・パレスチナに関わる上での「立ち位置」に関する悩みを書いたら、今ISMに参加している友人S氏からすぐにコメントがきた。私もたったいまコメントを返したところ。(前回のブログのコメント欄を参照のこと) 前回のブログで多少誤解を与えてしまった部分があるかなと思い、補足する。 まず、東京で平和に生きる若者が、イスラエル・パレスチナの紛争に関わる資格がないというつもりは全くない。 もちろん、私たちにもできることがあると思っているわけで、だからこそ私は二年間も単位...
...イスラエル・パレスチナに行ってきます
本当は昨日のブログの続きを書きたいのだけれども、航空券をとったのでイスラエル・パレスチナ行きの話を。 旅程は6月21日~7月5日の二週間。本当は長くいたいのだが、多忙な同僚のせいで早く予約できなかったため安い便は一杯。というわけで、こんな時になってしまった。 映画を撮る件も、同僚が多忙のため(といっても夜は飲みにでかけているんだが)うまく渉外の手はずを整えられず難しくなりそうだ。ルーマニアと日本では仕事に対する感覚がどうも違うらしい・・・ 今日は研究所にパレスチナ人が来ていた。 毎週金曜日のISMのビリン村の活動についての映像を見た。友人S氏がちょうど今参加しているやつ...
...自分がありたい姿について
もう一年も前の話になってしまうのだけれど、イスラエル人・パレスチナ人との間に対話の機会を創出し、そして日本社会にイスラエル・パレスチナに生きる人々の姿を伝えていくという活動を通して、色々考えさせられたことがあった。 事業規模が大きかったため色々な企業、財団、自治体、また多くの一般市民の方々に多大な協力を頂いたのだけれども、何度か「国際協力」そのものに対して批判を何度かうけたことがあった。 「イスラエル・パレスチナなんて私たちには関係ないだろ。」 内容面での甘さを批判されるのは構わない。むしろ、お願いしたいぐらいだった。 でも、世界で起こっている貧困や紛争を「関係がない」とかたづ...
...休日の過ごし方
土日は、シビウという街に遊びに出かけるはずだった。諸事情により中止となった。 というわけでいつもと変わらない休日が始まった。 遅く起きた朝は、朝食作りから始まる。お金のない私は、忙しい平日の朝食・昼食をファーストフードで済ませてしまうことが多い。だから休日はちゃんと自分で作ることにしている。 ゆっくり風呂に入り部屋の掃除や洗濯を終わらせたあと、勉強にとりかかる。今日は雨だ。 電子辞書に記録してあるこの一週間で調べた単語を書き出したり、TOEFL用の教材をやっているうちに、降っていた雨がいつのまにか止み、雲ひとつない青空に変わっていたりする。クルージュの天気は変わりやすい。 そん...
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