近代社会とは機能主義に象徴される。
機能主義とは、機能を重視し、その機能を満たすためなら何でもいいという具合に、入れ替え可能性を推奨する。よく宮台の本に出てくる議論だ。
世の中全ては入れ替え可能となってしまう中で、あえて入れ替え可能ではない存在を求めているのが、今の私だ。
これは、恋愛についても当てはまる。
高校時代、様々な女性と付き合った。容姿のレベルがかなり高い女性もいた。
でも合わなかった。
容姿だけじゃダメなんだと思った。
学問とかNGOとかに興味のある子がいいと思った。
大学に入って、何人かの女性と付き合った。中には学問的な話ができる子もいた。
でも合わなかった。
恋愛って「頭の良さ」とか「容姿」とか、そういうもので測るべきではないのだなと思った。
80年代までは「三高」なる言葉があった。
学歴が高く、背が高く、収入が高い男性は女性から人気があったわけだ。
しかし時代は変わった。
結局のところ、数値化できる価値など無価値に等しいのだ。
入れ替え不可能で言語化できない「何か」の中で、生きたいと願う。