カンボジア総括

延ばし延ばしにしてしまったカンボジア日記をそろそろ終わらせたい。
 
 
さて、ボランティアで運営されている学校を見学し夜授業をしにまた来ることを約束する。
その後はシェムリアップの街を見学。
 
まず近所の屋台で昼飯。
1人0.5ドルぐらいの安さで、ハエ飛びすぎだけど、うまかった。
 
 
学校の近くでレンタル電動自転車を借り、半日かけて街を見学。
まず地雷博物館へ。某ジャーナリストから見学を勧められていたためだ。
 
この地雷博物館をつくったアキ・ラーという人は、少年時代から20歳まで、クメール・ルージュ(ポル・ポト派)軍、ベトナム軍、カンボジア軍の兵士として、軍隊を転々とする。
20歳で国連軍に入った時、彼は「自分の人生を自分で選ぶことができる」ことを知る。
 
国連軍撤退後は、無償でカンボジア各地の地雷を撤去し、同時に地雷の被害を受けた子供を引き取り学校に通わせたりしている。詳しくは下のホームページ参照。
 
 
 
 
こういう本が増えればいいと思う。
そしてこの本の印税が、カンボジアの地雷撤去に少しでも役立てばいい。私たち日本人のできることと言ったら、その程度だ。
 
 
 
 
その後はシェムリアップの街を自転車で駆け巡る。
観光地から離れた場所を巡って、村の人の生活を知る。
 
夜はボランティアで運営されている小学校へ戻る。英語教師になる。
そこでボランティアで英語を教えている人は、正直私よりも英語ができなかった。
けれどもボランティアで英語を教える。
 
少しでも分かる人間が、少しでもいいから子供に教えていくのだ。そこには助け合いの精神が存在する。
こうやって少しずつカンボジアが発展していくことを願う。
 
 
そこで日本人の滞在者と出会う。信州大学を休学して、カンボジアで生活しているらしい。
カンボジア事情を伺う。滞在五ヶ月目にしてクメール語(カンボジア語)をマスターしているらしく、現地の人間ともう混ざってしまっている。
 
 
 
 
 
 
次の日は早朝バスでプノンペンへ。7時間ぐらいかかった。
シェムリアップ中心部にある旅行代理店から、セントラルバスステーションへミニバスで向かい、そこからバスでプノンペンへと向かう。
 
しかしアクシデント発生。
まず、私がミニバスの中に荷物を置き忘れる。気付いたときにはミニバスは遠く彼方へ。
幸い一時間後ミニバスが戻ってきたので、荷物を取り戻すことができた。
 
しかし更にアクシデント発生。
ミニバスに乗った時、旅行代理店の人にバスチケットを渡してきたのだが、実はプノンペンに向かうバスに乗るにはそのチケットが必要だったのだ。
バスの斡旋会社の人間と揉めたが、結局チケットを買いなおした。
 
 
昼過ぎにプノンペン着。途中の停留所では、食用蜘蛛が売ってたりして、なかなか興味深かった。
 
同じバスに乗っていたドイツ人たちが蜘蛛と売り子の写真をとっていたが、決して蜘蛛を買い食べようとはしなかったのが印象的だった。
 
 
 
プノンペンでは泊まっているゲストハウス(安宿のこと)で自転車を借り、街を巡るが途中で雨が降る。あまり観光できず。
 
夜はVISAカードで買いこんだビールとつまみで、男三人で飲み会。
東南アジアの女性の健康的な美しさについて、語り合う。
 
 
 
 
次の日は朝からトゥール・スレンという、ポル・ポト時代の収容所を見学。
ポル・ポト時代のわずか数年間で、当時のカンボジア国民の4分の1の200万人が殺されたとされている。そして二万人以上がこの収容所で虐殺された。
 
ふと思ったことだが、ヒトラーのユダヤ人虐殺(約600万人)をテーマにした映画や小説は山ほどあるが、ポル・ポトをテーマにした映画はキリング・フィールドぐらいしか知らない。
注目の差を感じた。
 
 
 
その後昼にはバスでシェムリアップの街に戻る。
 
夜、夕飯を食べネットカフェに入ると、ボランティアの学校で会った大学生の方と再会。
また、アンコールワットで日本語ガイドをしているカンボジア人二人と仲良くなる。
 
一時間ぐらい、英語と日本語を交えながら会話をする。
聞けば、一人は英語を二年間、日本語を二年間でマスターし、もう1人は英語とタイ語を同時に二年間、日本語を二年間でマスターしたという。
さらに聞けば、つい最近「メレンゲの気持ち」というテレビ番組で、若槻千夏のアンコールワットのガイドをしたらしい。
 
 
 
途上国に行けばいつも気付かされることだが、彼らは努力家だ。
 
日本の私立大学の中ではトップクラスに位置する大学に通う私は、英語さえ満足にしゃべれない。
まして第二外国語のフランス語なんて、挨拶もろくにできない。
私が彼らの国に生まれていたら、大学に入れるかは危うい。
 
公的な教育制度は整っていないかもしれないが、1人1人の学ぶことに対する姿勢は尊敬に値する。
 
 
 
 
発展途上国と私たちは呼ぶが、その「発展途上」という言葉は何を意味するのだろうか。
 
 
 
 
その後、この二人のカンボジア人に、屋台でヒヨコとシェイクを奢ってもらう。
屋台の人間は大抵英語があまり使えないので、ヒヨコがメニューにあることは知らなかった。
意外とおいしい。臭みは胡椒で消す。
 
 
 
次の日早朝、タイに戻る。
タイでは、バンコクと大学の見学やショッピングなどをして過ごし、日本に帰った。
 
 
はじめの二枚は、ボランティアで運営されている小学校(昼間)
 
次の一枚は村のおばさん。首からかけている私のカメラを見て化粧を始めたので、なんのことかと思ったら写真をとって欲しいとのこと笑
 
次の一枚は屋台にて(昼飯)。カンボジアは食が豊かだ。
 
次はカンボジアの村をサイクリング。とっても「豊か」な街並みだ。
 
次の二枚はシェムリアップの市場。バナナが美味しかった。
 
最後の一枚は、ボランティアで運営されている学校の様子。

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